なんというのびやかな旋律。なんという美しい世界。どこにも無理がなく、素直で、やさしい。まるで風が抜けていくようだ。低音部のささやきが耳をくすぐり、気持ちよく上へ上へと旋律が広がっていく。(中略)考えてみると、こんな斬新な始まり方の曲もない。レミレミ…レミレミ…というひそやかなチェロの誘いに、いきなりふわっとオーボエのソロが乗る。旋律はどこまで行っても、いたって「自然」である。穏やかな2楽章も、さらさらと流れる3楽章も。ところが、この「自然さ」を美しく表現するのが、きっと難しいのだ。(加藤牧菜さんの音楽エッセイ「音の向こうの景色」より)
R・シュトラウス(1864~1949)が最晩年に作曲したオーボエ協奏曲。肉食系の轟音は、今は昔。まるでモーツァルトのように澄みきっていて、これこそ最高のオーボエ協奏曲だと思っているオーボエ吹きは少なくないはずです。それどころか、ぼくは世界で最も美しい音楽ではないかと思うことさえあります。
天下のベルリン・フィル首席3代の演奏で聴いてみます。
<演奏>
ローター・コッホ(オーボエ)、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィル【1969年録音、DG】
コッホのオーボエはモーツァルトのK314(前回記事)と同様に、太い毛筆で描いていながら一切のケバ立ちがなく、この世には存在しない理想を体現したような音。そもそも、この曲自体がこの世に存在しない理想の世界を描いているようにも思われる。
あらためて聴いてみると、カラヤンの指揮も含めてややコッテリ感があって、もっと淡い水彩画のような演奏を好む人もいるかもしれませんが、好みはさておき、コッホのオーボエはあまりに完璧すぎて、笑いが込み上げてきます。比較を絶するとはこのこと。CDでは入手困難な時期が長くつづいたこの録音は、≪Masters of the Oboe≫でようやく再発売されました。ホリガー&イ・ムジチ合奏団のマルチェッロなど8人のオーボエ奏者で12曲を集めた当盤は、アルビノーニとベルリーニが含まれないことで画竜点睛を欠きますが、「オーボエのCDを1枚だけほしい」という人に(2枚組だけど)薦めたい。
<演奏>
ハンスイェルク・シェレンベルガー(オーボエ)、ジェイムズ・レヴァイン指揮ベルリン・フィル【1989年録音、DG】
カラヤン最晩年の時期(1989年5月)で、指揮はレヴァイン。ぼくがオーボエを手にしたときにBPO首席だったシェレンベルガーは憧れの存在でした。使用楽器はLoree(フランスのオーボエメーカー)の最上位機種だったと思います。シェレンベルガーの音は繊細なガラス細工のようで、壊れやすく、やや神経質です。美しいと言ってもいろんな美しさがありますが、シェレンベルガーの音は儚い系の美しさ。
ずいぶん前(1997年)に紀尾井ホールでシェレンベルガーの公開レッスンを聴講したとき、池田昭子さん(当時、藝大4年)がこの曲を吹きました。第1楽章の冒頭からさりげな~く頻出する16分音符にちょっと力が入っている池田さんに対し、シェレンベルガーは「ヴィルトゥオーゾ風にならないように…」と助言していたことが印象に残っています。この冒頭のメロディーは、楽譜だけ見るとちっとも“歌”らしくないのですが、実は大きなフレーズが流れていて、この16分音符が表しているのは、たぶん、フレーズという名の羽毛がふわっと風に揺らめく程度の微細な動きなのかもしれない。言うは易し、おこなうは難し。
<演奏>
アルブレヒト・マイヤー(オーボエ)、クリスティアン・ティーレマン指揮ベルリン・フィル【2012年3月4日ライヴ】
http://www.youtube.com/watch?v=v44s14ocMV4 (2分47秒)*第2楽章より
リンク先の動画はBPOの公式アカウント(?)。この前日(3月3日)のライヴがDIRIGENTという海賊盤レーベルから発売されていますが、それはマイヤーにとって不本意な出来だったはずです。冒頭からティーレマンと呼吸が合わず、16分音符のパッセージも寸詰まりで苦しそうです。ハラハラしながら聴いていると、案の定、途中で派手に指を滑らせ、誠に痛々しい。しかしBPO首席といえども人間なのだ、となぜかちょっと安心します(笑)
余談ですが、同じ職場にケータイの着信音が「ラシラシラシラシっ♪ラシラシラシラシっ♪」(ちょっとテンポ速い)の人がいて、鳴るたびに気になって仕方ないのですが、ひょっとしたら彼もリヒャルトのオーボエ協奏曲が好き…なんてことは絶対にあり得ない、間違いない