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完全なるディスコグラフィへの道 その8(最終回)

最終回です。
 
(1)果てしなき道
ベートーヴェンの第5交響曲、全曲盤の最も古い録音といえば、一般にはアルトゥール・ニキシュが、ベルリン・フィルを振ったグラモフォン盤といわれています。1913年の録音で、有名なレコードなので、何種類もCD復刻が有りますが、筆者はそれよりも3年前の1910年録音の、第5の全曲盤を見つけましたので、紹介したいと思います。(クリストファ・N・野澤、「SPレコード」誌、1999年5月)
本ディスコグラフィーでは、これら3大オペラに対する夫々の初録音以来、2014年6月までに世界で発売された全ての全曲盤を対象に(中略)、録音順に配列してあります。(我孫子オーディオ・ファン・クラブ、モーツァルトの「フィガロの結婚」「ドン・ジョヴァンニ」「魔笛」ディスコグラフィ、2015年)
ディスコグラフィ作成は永遠に終わりがない作業です。仮に、ある時点で完成度の高いものが仕上がったとしても、忘れられた録音が発見されたり、様々な事情でお蔵入りしたレコード会社の録音や放送局(日本ではNHK、TBSなど)の倉庫で眠っている録音が発掘されたり、さらに最新録音も次々と登場するので、ディスコグラフィは瞬く間に陳腐化します。
 
そこで、ひとまず「○○年までに発売されたもの」と区切るのが現実的です。前述のベートーヴェンの第5のようなケースはめったにありませんが、未発売のお宝録音の発掘は世界中で盛んにおこなわれているので、ある時点で「○○年までに録音されたもの」とは言いにくいのです。なお、飲み仲間のG氏は「春の祭典」を日本語のほか英語(The rite of spring)とフランス語(Le sacre du printemps)も合わせて3言語検索を毎日実行し、ディスコグラフィをブラッシュアップしています。凄くしんどい(本人談)。
 
(2)ディスコグラフィへの記載要領
言語や記載項目、掲載順は絶対的なルールがあるわけでなく、編者によります。言語については、ぼくは日本語を基本として、日本語表記が一般的でない人名や曲名のみ原語で記載します。それは決してぼくの語学力(英検4級)のせいではなく、ダラーニ(Jelly d'Aranyi)やグリュミオー(Arthur Grumiaux)のように綴りが難解な人もいるので、日本人にとっての読みやすさを優先しているからです、間違いない!
 
また、ある特定の演奏家のディスコグラフィでは様々な作曲家名や曲名を何語に統一するべきかという問題が生じます。わが愛しのイヴォンヌ・キュルティの場合、彼女のレパートリーには当時(戦前)のフランスで流行していたと思われるシャンソンもあり、これらの曲名も含めて日本語や英語に統一することは非常に困難です。
 
記載項目については、ぼくはヴァイオリン曲のディスコグラフィでは「録音年」「ソリスト名」「共演者名」「CD発売レーベル」「録音年月日」を記載し、録音年月日が古い順に並べています。他方、世界的に有名なクレイトンの「ディスコペディア」(※)には録音年のデータがなく、ヴァイオリニスト別に「作曲者名」「曲名」「編曲者名」「共演者名」「マトリクス番号」「発売レーベル名とカタログ番号(再発売含む)」の順に記載し、作曲者名のアルファベット順に並べています。言語の統一性は見られません。(資料提供:ib○tar○w先生)
 
記載例(James Creighton, Discopaedia of the Violin)
Yvonne Curti
SIMONETTI
Madrigale pf - arr. vln&pf with G. Andolfi pf Pathé X9756
Madrigale pf - arr. vln&pf with G. van Parys pf L870 Columbia 5290, 01529, D19041, J704
 
(3)同演異盤
ぼくはカタログ番号はフォローしませんが、中には世界各国で異なる同一録音のカタログ番号を悉く調べ上げる猛者もいます。例えば、ある録音が日独米の3ヶ国で発売される場合、猛者は各国で異なる3つのカタログ番号をすべて記載し、さらに再発売のこれまた異なるカタログ番号の網羅も目指します。
 
この場合、あるレコードやCDがディスコグラフィ上のどの録音と同一なのか(あるいは新発見なのか)、特定する手掛かりとなるのは録音年月日などの詳細データです。明記されていても誤記の可能性もあるので妄信はできませんが、超廉価盤にはそのようなデータが記載されていない場合があります。
 
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畏友t○rikera氏は100円ショップCD研究の権威で、例えば、ダイソーのホロヴィッツのチャイコフスキーのピアノ協奏曲(共演者は記載なし)は1941年4月19日のライヴ録音(トスカニーニ指揮NBC交響楽団)が使われていることを特定。また、ネット上にはPILZやDeAGOSTINIの幽霊演奏の正体追究に執念を燃やしている人もいます。カタログ番号レベルでのフォローにはこのような異次元にして難易度の高い調査を伴う覚悟が必要です。
 
【参考記事】「100円ショップ鑑定団」(t○rikera氏)
 
では最後に、これまでのテーマを振り返りつつ、復習を兼ねて2つのケースを提示します。皆さんのご意見をお聞かせください。
 
(バックナンバーと主なテーマ)
その1 表記問題(情報収集の観点)
その2 ローカル盤、廃盤、海賊盤など
その3 アマチュアの演奏
その4 別テイク
その5 部分録音、短縮版、リハーサルなど
その6 編曲版
その7 映画
その8 表記問題(記載の観点)など
 
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【ケーススタディ】プロとアマチュアの共演(しかも編曲版)
♪ピーターと狼(プロコフィエフ/戸田顕編曲)
千々松幸子(ナレーター)、福本信太郎指揮相模原市民吹奏楽団

「ど根性ガエル」のピョン吉や「ドラえもん」の野比玉子(のび太のママ)の声優を迎えたアマチュア名門吹奏楽団の市販CDは同曲の日本語ナレーション盤のディスコグラフィの対象にしてもよいでしょうか。
 
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【ケーススタディ】使い回しかもしれない別テイク
♪ピアノ協奏曲第1番(ベートーヴェン)
第1楽章(カデンツァ:ベートーヴェン)
第2楽章(カデンツァなし)
第3楽章(カデンツァ:ベートーヴェン)
 
♪ピアノ協奏曲第1番(ベートーヴェン)
第1楽章(カデンツァ:グレン・グールド)
第2楽章(カデンツァなし)
第3楽章(カデンツァ:グレン・グールド)
ラルフ・フォークト(Pf)、サイモン・ラトル指揮バーミンガム市交響楽団
 
当盤には同じソリスト、同じ指揮者、同じオーケストラによる第1番が2つの演奏で収録され、第1楽章と第3楽章のカデンツァは別版が採用されています。しかしカデンツァを含まない第2楽章はまったく同じ演奏時間であることを飲み仲間のn先生が指摘。そこでJH氏が比較試聴するも同じ演奏としか思えず、これはひょっとして別テイクではないのか。真相はいかに。
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完全なるディスコグラフィへの道 その7

今回のテーマは「映画」です。
 
映画には音声が含まれるので、映画は広い意味では音楽ソフトの一種と言えるのではないでしょうか。例えば、美空ひばりは少女時代から多数の映画に出演し、しかも映画ではレコードに吹き込まなかった曲も歌っているので、映画に目を向けなければ彼女の歌手としてのレパートリーを網羅することはできません。(※)
 
【参考記事】「天才少女時代の美空ひばり-フィルモグラフィー」(ib○tar○w先生)
 
クラシック業界においても映画に出演した演奏家は枚挙にいとまがなく、最たるものは「オペラ映画」です。オペラの映像ソフトは劇場のライヴを撮影したものが主流ですが、「オペラ映画」は例えばジュリー・アンドリュース主演のミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」のように、出演者本人(または別人)があらかじめ録音した歌に合わせて演技し、映画仕立てで撮影します。
 
【ケーススタディ】オペラ映画
映画「蝶々夫人」(1955年公開)
八千草薫(演技&セリフ)、オリエッタ・モスクッチ(イタリア語吹き替え歌唱)
オリヴィエロ・デ・ファブリーティス指揮ローマ・オペラ座管弦楽団
何よりの難関は、歌と、歌う口元をぴったり合わせなければならないことでした。歌はもちろん、本職のオペラ歌手の人の声が入っています。その声に合わせて、正確に発音をし、私自身が本当に歌っているように、一体にならなければ、成立しないわけです。オペラにもなじみがなく、イタリア語もわからない私にとっては、不安などというなまやさしいものではありませんでした。(八千草薫、1999年)
八千草薫さんの「蝶々夫人」は日伊合同製作のイタリア語映画(日本語字幕付き)。歌っているのは別人ですが、蝶々さんとして空前絶後の美しさに音楽なんかどうでもよくなる。
 
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【ケーススタディ】映画の中の演奏シーン
映画「カーネギーホール」(1947年公開)
ヴァイオリン協奏曲~第1楽章より(チャイコフスキー)
ヤッシャ・ハイフェッツ(Vn)、フリッツ・ライナー指揮ニューヨーク・フィル
https://www.youtube.com/watch?v=ruvljAjzscg (1時間40分54秒から約11分)
 
往年のアメリカ映画「カーネギーホール」のように、当時の巨匠たちが多数出演し、しかも演奏シーンがやたら長くて印象的な作品もあります。このような映画の中の演奏はディスコグラフィの対象とするべきでしょうか。長い曲は途中カットして演奏される場合もありますが、小品などノーカットの演奏だったらいかがでしょうか。フィルムもDVDなどの形で発売されれば「ディスク」です
 
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【ケーススタディ】その他の映画
特に音楽がテーマの映画でなくても、トーキー以降、音楽が一切ない映画はどれだけあるでしょうか。気づかなくても様々な音楽が流れ、それを演奏している人がいます。その音楽はその映画のためのオリジナル曲の場合もあるし、既存のクラシック曲が選ばれる場合もあります。このようなサウンドトラックは、ある特定の作品をターゲットとする場合にせよ、またはある特定の演奏家をターゲットとする場合にせよ、ディスコグラフィの対象とするべきでしょうか。
 
なお、ベルリン・フィルは戦前、多数の映画音楽への録音をおこなっているそうですが、マイケル・グレイ氏のベルリン・フィル・ディスコグラフィにはそれらの録音を含んでいない旨、ことわり書きがあります。
 
(次回につづく)

完全なるディスコグラフィへの道 その6

今回のテーマは「編曲版」です。
オーケストラによる演奏は勿論のこと、ピアノや弦楽合奏のための編曲による演奏も含む。(吉井新太郎氏、ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」ディスコグラフィ)
特別な場合を除き、一部楽章(特に第4楽章)のみの演奏およびピアノなどへの編曲版も除外しました。(高橋敏郎氏、ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱」ディスコグラフィ)
編曲版の取り扱いはディスコグラフィの編者によって判断が分かれます。ひとくちに「編曲」と言っても、編曲者の「知名度」や編曲作品としての「クオリティ」によって人々に寛容に受け入れられたり、あるいは拒絶されたりします。しかし、ディスコグラフィとはディスクの形で残された録音を悉く調べ上げることが本分であり、例えばラヴェル編曲のムソルグスキーの「展覧会の絵」はよいが、何処の馬の骨か知れぬ者の編曲は対象外と線引きするならば「主観」「恣意的」の謗りを免れない。
 
そもそも「編曲版を対象とするかどうか」という問題提起自体、編曲に対する微妙な感情が滲んでいるうえ、実は「編曲とは何か」という定義も人によって様々で、金子建志氏がベートーヴェンの交響曲第7番の第4楽章でスラーを取って演奏する解釈を「編曲」と評していたことには驚きましたが、対極には自由すぎて原形を留めない「作曲」のような「編曲」もあったりして、何処まで対象で何処から対象外なのか、自分の立場を明らかにする必要があります。取捨選択とは自分の価値観と対峙することに他ならないのです。
 
<曲名>
交響曲第5番(ベートーヴェン)
 
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【ケーススタディ】オーケストレーション改変版
♪近衛秀麿指揮読売日本交響楽団(1968年録音)
http://tower.jp/item/3951825 (試聴できます)
ベートーヴェンのオーケストレーションをよりはっきりと響かせるための改訂は随所に行われている。いわゆる「近衛版」による演奏なのである。たとえば第1楽章では228小節の頭のティンパニ追加がそうだし、478小節ではなんと主題を強調するために、全パート、頭の8分音符をすっぽりカットしてしまっている。(宇野功芳)
ベートーヴェンの5番には「近衛版」のほか「マーラー版」もありますが、あえて「版」とか「編曲」と銘打っていなくてもホルンなどでオーケストレーションを補強する指揮者は(特に昔は)枚挙にいとまがありません。このような演奏をディスコグラフィの対象とすることには多くの方の同意を得られるのではないでしょうか。
 
実際、もっと大胆にオーケストレーションを改変したモーツァルト編曲やグーセンス編曲のヘンデルの「メサイア」だって、同曲のディスコグラフィから除外されないでしょう。そうならば、河邉一彦編曲のマーラーの「巨人」吹奏楽版(川瀬賢太郎指揮東京佼成ウインドオーケストラ)もすぐ目前です。
 
【ケーススタディ】室内楽版
♪Van Swieten Society(2014年録音)
https://www.youtube.com/watch?v=fsjcAVA10V0 (冒頭のみ:1分30秒)
 
ベートーヴェンの友人だったフンメル編曲による四重奏版(ピアノ、フルート、ヴァイオリン、チェロ)はいかがでしょう。このようなサロン編曲は当時の「あるある」で、ベートーヴェン自身の編曲による交響曲第2番のピアノ三重奏版、交響曲第7番の木管アンサンブル版もあります。バッハやヘンデルも自作の使い回しに伴う編曲は日常茶飯事でした。作曲者自身の編曲だったら文句ないですか?
 
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【ケーススタディ】ピアノ独奏版
♪グレン・グールド(ピアノ)
 
交響曲に限らず、オーケストラ譜のピアノ編曲は特に協奏曲では日常茶飯事です。子どもの発表会からプロオケのオーディションまで、弦楽器にせよ、管楽器にせよ、世界中で演奏される協奏曲の大半は実はピアノ伴奏ではないでしょうか。オイストラフやミルシテインをはじめ、往年の巨匠もピアノ伴奏でヴァイオリン協奏曲のライヴ録音を残しています。
 
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【ケーススタディ】非クラシック系
♪ポール・モーリア楽団 https://www.youtube.com/watch?v=47o5cFX-7f0 (2分52秒)
♪上海太郎舞踏公司B https://www.youtube.com/watch?v=85tsnqc3jHM (4分13秒)
 
ひとくちに「編曲」と言っても様々ですが、原形を留めないようなものは取り上げません。ここに挙げた2つの編曲はどちらも第1楽章のみで、しかも途中カットがありますが、特に後者はスコアの再現性とバカバカしさを高度に融合させた絶品で、これを対象外にする理由が見つかりません。日本人(日本語が分かる人)にしか通用しないけど。
 
(次回につづく)

完全なるディスコグラフィへの道 その5

今回のテーマは「部分録音」と「短縮版」です。
 
<曲名>
交響曲第5番(ベートーヴェン)
 
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【ケーススタディ】部分録音(想定内)
♪アンドレ・クリュイタンス指揮ウィーン・フィル(1958年12月13日録音)[第1楽章のみ]
 
複数の楽章で構成される作品の一部の楽章しか存在しない録音はディスコグラフィの対象とするべきでしょうか。様々な交響曲の一部を選んで集めたクリュイタンス&ウィーン・フィルの「交響曲へのお誘い」というアルバムは、旧録音の再利用ではなく、すべてオリジナルの録音です。クリュイタンスはちょうどベルリン・フィルとベートーヴェンの交響曲全曲録音に取り組んでいる時期で、同年3月録音のベルリンと同じ指揮者でオケ違いの同曲異演を比較する楽しみもあるウィーン盤は部分録音でも紹介に値するのではないでしょうか。
 
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【ケーススタディ】部分録音(想定外)
♪グイド・カンテッリ指揮フィルハーモニア管弦楽団(1956年5月31日、6月1、4、5日録音)[第2~4楽章のみ]
 
前述のクリュイタンスとは逆に、この録音は第1楽章が欠落しています。もともと全楽章を録音する計画でしたが、ホール近隣の工事の騒音のため、残りの録音を延期したところ、その時期が来る前にカンテッリは飛行機の墜落事故で急逝。このような曰く付きの録音は未完でも記憶されるべきではないでしょうか。
 
また、ラロの「スペイン交響曲」(実質的にはヴァイオリン協奏曲)の場合、5楽章構成ですが、初演者サラサーテが第3楽章をカットして演奏したとかいう曰くで、ハイフェッツをはじめ、往年のヴァイオリニストの多くがこのカットを踏襲して4楽章の作品として録音しています。ディスコグラフィでは、ターゲットによってこのような歴史的経緯を考慮する必要があります。
 
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【ケーススタディ】短縮版
♪秋山和慶指揮NHK交響楽団[第1楽章のみ]
http://www.amazon.co.jp/dp/B00005FHRL (試聴できます)
 
どんな大曲でも必ず5分間の枠に収める職人芸的な番組、NHK「名曲アルバム」。複数の楽章で構成される作品はいずれか1つの楽章のみ、しかもその楽章が長ければ断腸の思い(たぶん)でカットして時間を合わせます。これも部分録音の一種です。時間の制約による短縮版は「名曲アルバム」に限らず、昔(おおむね1940年代以前)のレコードは片面最大5分間という収録時間に合わせるため、それ以上の長さの曲は中断して裏面で再開するか、あるいはカットして片面に収めていました。変奏曲はともかく、ソナタ形式のカットはなかなか高度な知的作業ではないでしょうか。いったいどこをカットするのか、予想してから聴いてみるのも一興。
 
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【ケーススタディ】リハーサル
♪ヘルマン・シェルヘン指揮ルガノ放送管弦楽団(1965年2月24~26日録音)[全4楽章]
 
リハーサルにはシェフの厨房を覗き見るような楽しさがあります。指揮者にも様々なタイプの人がいて、演奏を頻繁に止めて指示を与える人、ほとんど止めずに通しながら指示を与える人など、進め方にも個性が表れます。シェルヘンは後者です。その他の様々なリハーサル録音も含めて、詳細はいずれあらためて別記事で紹介します。そもそもディスコグラフィにアクセスする人はそのターゲットに並々ならぬ関心をもつ同好の士のはずで、指揮者の解釈が手に取るように分かるリハーサル録音を本番以上に熱心に聴く人がいてもぼくは驚かない。
 
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【ケーススタディ】作品解説
♪レナード・バーンスタイン(ナレーター&ピアノ&指揮)ニューヨーク・フィル[第1楽章のみ]
♪尾高忠明指揮NHK交響楽団、武田至弘(ナレーター)[全4楽章]
 
バーンスタインの録音は米CBSのTV番組をCD化したもので、ベートーヴェンの作曲過程を不採用スケッチの演奏も交えながら彼自身が解説しています(日本語対訳付き、約12分)。つまり、スケッチの演奏は既出録音の流用ではなく、明らかにこの企画のためにおこなわれた録音です。なお、バーンスタインは1954年のTV番組でも同曲を解説していますが(→ https://www.awesomestories.com/asset/view/Bernstein-Explains-Beethoven-s-Fifth-Part-1)、内容が異なる別企画と思われます。
 
N響の録音はオーケストラの演奏に合わせて作品の構造をナレーターが分析的に解説しています(約37分)。通し演奏ではなく、解説もポケットスコアに書かれているような内容ですが、スコアのあるパートを抜き出して演奏するなど、当盤も既出録音の流用ではなく、明らかにこの企画のためにおこなわれた録音です。このような解説レコードは、通常の全曲演奏と同列に取り扱うには躊躇しますが、同曲のレコード史上で無視するには惜しいユニークな存在ではないでしょうか。
 
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【ケーススタディ】レッスン
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィル(1966年録画)[第2楽章のみ]
 
この映像は「リハーサル」と紹介されることもありますが、実際はベルリン・フィルの低弦セクションを練習台にした、若い指揮者の卵へのレッスンです(約21分)。マイケル・グレイ氏が2000年頃に作成したベルリン・フィルのディスコグラフィには掲載されていませんが、これは2005年に世界初商品化されたためと思われます。
 
(次回につづく)

完全なるディスコグラフィへの道 その4

今回のテーマは「別テイク」です。
 
映画やドラマの撮影で良い演技ができるまで同じ場面を何度も撮り直すのと同じように、レコードやCDも何度も録音して良い部分をつなぎ合わせて製作されます。一発勝負のはずのライヴ録音も例外ではなく、同じプログラムで複数日にわたってコンサートがおこなわれる場合は全部録音し、さらに必要あらばリハーサルの録音もミックスして完成度の高い演奏に仕上げます。その是非はこの際どうでもいいのです。問題はディスコグラフィにおける取り扱いです。
 
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【ケーススタディ】3日間のコンサートを3つの別演奏として録音する場合
交響曲第1番(ベートーヴェン)
朝比奈隆指揮大阪フィルハーモニー交響楽団
2000年7月8日録音
2000年7月21日録音
2000年7月23日録音
 
朝比奈(当時91~92歳)の最晩年のベートーヴェンの交響曲全曲録音は複数回にわたるコンサートを無編集のままCD化しています。特に第1番はなんと!2枚組に3つの演奏が収録されています。この場合、演奏日が近接しているとはいえ、本人及び発売元の意図は明らかなので、ディスコグラフィでも3つの「別演奏」として取り扱うべきでしょう。
 
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【ケーススタディ】3日間のコンサートを編集して1つの演奏をつくり上げる場合
交響曲第8番「未完成」(シューベルト)、交響曲第9番(ブルックナー)
ギュンター・ヴァント指揮北ドイツ放送交響楽団
2000年11月12日録音
2000年11月13日録音(DVD化)
2000年11月14日録音(NHK放映)
DVDは、オーケストラ楽員の入場から始まり、演奏終了後の熱狂的なスタンディング・オヴェイションに至るまで、11月13日(公演2日目)当夜の熱気に満ちた模様をカットなしに完全収録(CDとは別編集。また、NHKで放映された映像は公演3日目、11月14日のものであり、当作品の収録日とは別)。(HMVの商品説明より)
というわけで、このライヴはCDとDVDで発売されましたが、CDは3日間の演奏をつなぎ合わせて1つの演奏にまとめたのに対し、DVDはその中の1日の演奏をそのまま収めています。さて、両盤は「別演奏」と取り扱うべきでしょうか。また、いずれNHKの映像がDVD化された場合は?
 
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【ケーススタディ】同じ曲を同じ日に複数回録音する場合
タイスの瞑想曲(マスネ)
フリッツ・クライスラー(Vn)
1928年2月2日録音
 
レコードの製作事情は時代によって違います。昔(おおむね1940年代以前)は複数の録音を「つなぎ合わせる」という編集技術がなかったので、何度も録音して、その中から「選ぶ」という方法で原盤が用意されました。しかし、本命が1つのみとは限らず、売れそうなレコードは度重なるプレスで原盤が物理的に磨耗する事態に備えて複数用意しなければなりません。そうなると、同じレコードに見えても中身は微妙に(?)違う演奏ということがあり得ます。
 
例えば、クライスラーのある復刻CDには同じ日(1928年2月2日)に録音された「タイスの瞑想曲」が2種類、「テイク8」と「テイク10」が収録されています。クライスラーは少なくとも10回、「タイスの瞑想曲」を録音したということです。ディスコグラフィではこれらの「別テイク」をどのように取り扱うべきでしょうか。余談ですが、同じ日に録音されたドルドラは「テイク4」、ドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」は「テイク25」。3曲合計(少なくとも)39テイクとなります
 
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【ケーススタディ】同じ曲を別の日に録音する場合
マドリガル(シモネッティ)
イヴォンヌ・キュルティ(Vn)
 
前述のクライスラーのように、昔は同じカタログ番号のレコードに複数のテイクが使われることがありましたが、そのすべてのテイクが同じ日に録音されるとは限らず、時期を置いて(おそらく何らかの事情で必要が生じた場合に)あらためて録音されることもありました。そのような場合はレコード会社もマトリクス番号(原盤管理番号)をあらためて付与し、「別テイク」ではなく明らかに「新録音」と取り扱っていることが判ります。
 
例えば、わが愛しのキュルティの「マドリガル」には同じカタログ番号(Columbia D19041)で違うマトリクス番号(L870とL2549)のレコードが存在し、実際、この2つは録音時期に数年の隔たりがあると思われ、まったく違う演奏なのです。
 
しかし、マトリクス番号がアテにならない場合もあります。パブロ・カザルスの1920年代のレコードでは2ヶ月後、あるいは2年後の録音にも同じマトリクス番号が付与されています。ちょうどこの時期に録音技術の革新があり、新旧テイクは別技術で録音されているにも関わらず、レコード会社はこれらを「新録音」ではなく、カタログ番号は違いますが、あくまで「別テイク」とみなしているのです。また、アルフレッド・コルトーの1920年代のレコードにも3年の隔たりがある録音が「別テイク」扱いで同じマトリクス番号が付与されています。このような「別テイク」はディスコグラフィではどのように取り扱うべきでしょうか。
 
【参考記事】
「パブロ・カザルスのDB851とDB1067の怪」(ib○tar○w先生) http://ibotarow.exblog.jp/22774755/
 
(次回につづく)

プロフィール

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