ブランデンブルク協奏曲第5番BWV1050(バッハ)

<曲名>
ブランデンブルク協奏曲第5番ニ長調BWV1050(バッハ)
 
通称≪ブランデンブルク協奏曲≫は、バッハの数ある協奏曲からバッハ自身が6曲を選んだ、言わば≪バッハ・セレクション≫です。6曲すべて異なる楽器編成からして独創的、特に第5番はフルート、ヴァイオリン、チェンバロのための三重協奏曲ですが、第1楽章の主役は明らかにチェンバロで、はじめのうちは通奏低音的な役割に甘んじているけど、徐々に派手な動きを見せるようになり、ついには長大なカデンツァを獲得するという、「鍵盤協奏曲の誕生」を描いたようなストーリーが感動的です。実際、これは音楽史上でも最初期の鍵盤楽器をソロ楽器とする協奏曲だったはずです。
 
そんなわけで、特にこの楽章でのフルートとヴァイオリンはやや添え物的ですが、ゆうちゃんがソロを担当することに。ゆうちゃんは2つのオーケストラを掛け持ちしていて、この曲は地域のジュニアオケで演奏するのですが、そろそろ掛け持ちもきつくなってきて、これがジュニアオケでの最後のステージとなる予定。本番は2週間後。
 
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<演奏>
クラフト・トルヴァルト・デイロー(フルート)
ラインホルト・バルヒェット(ヴァイオリン)
ヘルマン・ヴェルダーマン(チェンバロ)
フリードリヒ・ティーレガント指揮南西ドイツ室内管弦楽団
【1960年録音、Ariola-Eurodisc原盤/DENON】
https://www.amazon.co.jp/dp/B001ENWT7E (試聴できます)
 
ぼくの刷り込みは小学6年くらいのとき(80年代半ば)、近所の図書館から借りたカール・リヒターで、グラモフォンの「ベスト100」に含まれていた、黄色の背中のMT(ミュージックテープ:もはや死語)を今もはっきり覚えています。原盤はアルヒーフでは?なんて、当時考えるはずもない。
 
それから数年後(80年代末)のグラモフォンの「ベスト100」で当曲に選ばれていた演奏はトレヴァー・ピノックでした。ピノックも名演かもしれませんが、「ベスト100」の購入層が聴く初めてのバッハがリヒターかピノックか、それは非常に大きな違いのはずで、決して良し悪しの問題ではなく、ほんの数年のタイミングでガラリと時代のセンスが変わった(そう感じた)ことが当時のぼくにも驚きでした。
 
今やプロの世界は古楽の専門家でない人まで古楽の奏法を取り入れるのがトレンドで、リヒターやミュンヒンガーのような60~70年代的なスタイルで演奏すると不勉強の謗りを免れず(たぶん)、ぼくは同情します。しかし実情として、アマチュアの合奏団がバッハを演奏するとき、よほど意識高い系のマニア集団でもなければ当然に戦後の伝統的なモダン楽器の奏法が標準のはずで、ゆうちゃんのオケもそうです。
 
そんなわけで、今回ゆうちゃんに聴かせる参考演奏の筆頭にぼくが選んだのはティーレガント。なぜこれかと言うと、大前提としてゆうちゃんのオケの演奏スタイルに合致していること、さらに演奏の良さと録音の良さが両立しています。つまり、ヴァイオリンとフルートのソロがくっきり前面に出て、うるさいチェンバロ(←失礼)は引っ込み、残響もあまり感じさせず、両ソロがとても鮮明でストレスなく聴き取れます。巷の名盤案内では考慮されない、こういう実用的な基準で音源情報を共有することも必要じゃないかと思う、今日この頃。
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世の中ね、顔かお金かなのよ

バッハ好きの方にはおなじみの話題ですが、それほどでもない方は相当に年季の入ったクラシック通でも存在すら知らないことが大いにあり得るこの作品、これまでクラシック専門ではない一般メディアに何度も取り上げられ、今日もニッポン放送系のネットサイト「grape(グレイプ)」が記事化しています。
 
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<曲名>
「音楽のささげもの」BWV1079(バッハ)
~2声の逆行カノン(通称:蟹のカノン)
 
バッハ晩年(1747年)、息子が仕えるフリードリヒ大王に謁見し、大王から与えられた一つの主題をもとに様々な対位法パターンで作曲してみせた「技のデパート」のような作品集が「音楽のささげもの」です。この作品集には10曲のカノンが含まれ、カノンとは「カエルの歌が♪」のような輪唱の形式だから少なくとも2つ以上のパートがなければ成立しませんが、ご覧の通り、単旋律で書かれているので、この楽譜を見ただけではどんなカノンなのか判りません
 
つまり、後続のパートをどうやって始めるべきか、演奏者に謎解きの試練を課しています。このカノンの正解は、最初のパートは楽譜の最初からそのまま演奏し、2番目のパートは楽譜の末尾から音符をさかのぼって読んで重ね合わせると、ちゃんと調和した音楽になるという仕掛けです
 
一般サイトではそんな謎解きは吹っかけず、2番目のパートをあらかじめ示して視覚的に判りやすいように解説されています。記事によっては「回文音楽」と紹介されることもありますが、回文とは「最初から読んでも最後から読んでも同じ」という技法なので、「最初から読む人と最後から読む人が同時に読むと調和する」というこのカノンは回文とは違うタイプという気がします。なお、この記事のタイトルは回文です
 
【解説】「天才バッハ一世一代の大仕掛け!この曲に隠された秘密に驚く」(grape)

4台のピアノのための協奏曲BWV1065(バッハ)

もしもタイムマシンがあったら、バッハが1729年(44歳)から10年以上にわたって指導したライプツィヒの学生オーケストラ「コレギウム・ムジクム」のコンサートを聴いてみたい。
 
どんな曲が演奏されたのか?プログラムの記録は残っていませんが、コンサートは毎週おこなわれたそうで、バッハが新作を毎回供給できるペースではないし、そもそもバッハの本職は教会の音楽監督で、学生オケの指導は趣味みたいなもんだったでしょう。
 
そこで、バッハは旧作のヴァイオリン協奏曲などをチェンバロ協奏曲にアレンジして使うことを考えた。なぜわざわざソロ楽器をチェンバロに置き換える必要があったのか?それは「コレギウム・ムジクム」にはヴァイオリンのソロを担える人材がいないけど、チェンバロだったらバッハの息子たちとか弟子たちに任せられるから。ぼくはこの仮説には強い説得力があると思います。
 
<曲名>
4台のピアノのための協奏曲イ短調BWV1065(バッハ)
【原曲】4つのヴァイオリンのための協奏曲ロ短調~「調和の霊感」作品3-10(ヴィヴァルディ)
 
しかしこの編成はあまりにも異常。おそらく「ソリスト4人」という条件ありきで、バッハ自身の旧作には適当なものがないからヴィヴァルディの作品を(勝手に)借用したのでしょう。コンサート会場のコーヒー店「ツィンマーマン・カフェハウス」にまさか4台ものチェンバロが常設されていたわけではないだろうから、これが演奏された当日はきっと関係者が見守る中、朝から次々とチェンバロが搬入され、調律し、リハーサルがおこなわれたことでしょう。この非日常の光景にバッハ自身も興奮しなかったはずがない!
 
そんなわけで、本番当日しか合奏練習できないこの作品はほとんどチェンバロソロ頼みの進行で、ヴィヴァルディの原曲のヴァイオリンソロパートを単純にチェンバロに置き換えるだけでなく、バッハ独自の加筆はもちろん、オーケストラの音符も大胆に刈り込んでチェンバロに移管。その結果、オーケストラはスカスカです(笑)
 
こんな特異な曲はやはり特別な機会に演奏されたはずです。例えば、コンサート●回記念とか、メーカーと提携した楽器販促イベントの目玉企画とか、バッハの息子か弟子が就職などでライプツィヒを離れるときの送別コンサートとか…もしもタイムマシンがあったら、ぜひそこに居合わせたい!

<演奏>
マルタ・アルゲリッチ(第1ピアノ?)
エフゲニー・キーシン(第2ピアノ?)
ジェイムズ・レヴァイン(第3ピアノ?)
ミハイル・プレトニョフ(第4ピアノ?)
ヴェルビエ音楽祭
【2003年7月22日、RCA(DVD)】
 
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<演奏>
クリストフ・エッシェンバッハ(第1ピアノ&指揮)
ユストゥス・フランツ(第2ピアノ)
ゲルハルト・オピッツ(第3ピアノ)
ヘルムート・シュミット(第4ピアノ)[西ドイツ元首相]
ハンブルグ・フィル
【1985年2月録音、DG】
http://www.amazon.co.jp/dp/B003UJXS98 (試聴できます)
 
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<演奏>
ヴォルフガング・サヴァリッシュ(第1ピアノ)
フリッツ・リーガー(第2ピアノ)
ルドルフ・ケンペ(第3ピアノ)
ラファエル・クーベリック(第4ピアノ&指揮)
バイエルン放送交響楽団
【1972年11月、リハーサル、DREAMLIFE(DVD)】
 
<演奏>
ジャン=ベルナール・ポミエ(第1ピアノ?)
ワルター・クリーン(第2ピアノ?)
ユストゥス・フランツ(第3ピアノ?)
ヘルベルト・フォン・カラヤン(第4ピアノ?&指揮)
チェコ・フィル
【1971年8月15日録音】

無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番BWV1001(バッハ)の二重奏版

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<曲名>
無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番ト短調BWV1001~プレスト(バッハ/ブラームス編曲/リッチ再編曲)
 
バッハの「無伴奏ヴァイオリン」は4本の弦を駆使してシャコンヌやフーガのような多声音楽に果敢にチャレンジする一方、このト短調ソナタの終楽章はごく一部に重音がある以外はほとんど単旋律で、まるで孤独なサムライのような佇まい。このような単旋律の曲のトランスクリプションは「ハーモニー拡充型」か「対旋律創作型」に大別されます(Loree分類法)。
 
そこで、ブラームスのピアノ編曲版。ブラームスによるバッハ作品のピアノ編曲と言えば「左手のためのシャコンヌ」が有名です(原曲はのちにブゾーニが編曲したシャコンヌと同じ)。ブラームスは右手を故障したクララ・シューマンのためにこの編曲をしたとか。余談ですが、ゆうちゃんが2歳のときに妻が包丁でどっちかの手を怪我して、ぼくが代わりに食事をつくったのですが(インスタントの袋入りラーメン)、そのとき台所に立つぼくの姿がゆうちゃんの最も古い記憶です。よほど珍しい光景だったと思われる。
 
そのブラームス編曲の「左手のためのシャコンヌ」は「ピアノのための5つの練習曲」の中の1曲です。この練習曲集に含まれる5曲の構成は次の通り。
 
「ピアノのための5つの練習曲」(ブラームス)
1)ショパンの練習曲ヘ短調作品25-2
2)ウェーバーのピアノ・ソナタ第1番ハ長調作品24~ロンド
3)バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番ト短調BWV1001~プレスト(バージョン1)
4)バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番ト短調BWV1001~プレスト(バージョン2)
5)バッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番ニ短調BWV1004~シャコンヌ
https://www.youtube.com/watch?v=6bDuKiSfbPE (30分01秒)
楽譜はこちら http://imslp.org/wiki/5_Studies,_Anh.1a/1_(Brahms,_Johannes)
 
というわけで、「左手のためのシャコンヌ」のほかにもバッハの無伴奏が含まれている!このプレストがまさに「対旋律創作型」で、このようなアイディアはのちにゴドフスキのバッハ編曲にも使われているけど、まさか先例があったとは知らなかった。しかもブラームス!さらに、バージョン1は右手でバッハの原曲、左手でブラームスの対旋律。バージョン2は左手でバッハの原曲、右手でブラームスの対旋律という逆パターンまで書いているという、執念とも言うべき凝り様。クララと肩を寄せ合って片手同士で連弾したのかどうか、ぼくは知らない。
 
<演奏>
ルッジェーロ・リッチ(ヴァイオリン)【1979年録音?香港111(One-Eleven)】
http://ml.naxos.jp/album/RR005
https://www.youtube.com/watch?v=RIpEUwEOwJ8 (7分20秒)
バージョン1 無伴奏
バージョン1 二重奏(3分43秒~)
 
今回の本題。なんと、ブラームスのピアノ編曲版のト短調プレストをルッジェーロ・リッチがヴァイオリン用に再編曲している!はじめにバージョン1のブラームスが創作した対旋律のみ無伴奏で弾いていて、バッハの原曲とは似て非なるメロディーなのに根底ではつながっていることを確信させる、まるでパラレルワールドに迷い込んだかのような不安感に戦慄を覚えずにはいられない。もしあなたがヴァイオリンを弾けるなら、この録音に合わせてバッハの原曲を弾くとデュエットになるという、実用的な使い方も一興。
 
次に、同じくバージョン1の二重奏。相方のヴァイオリニストの名前が記載されていないけど、まさか、一人で弾いているわけがない。バッハの原曲とブラームスの対旋律が溶け合うなんてもんじゃない、激しくぶつかり合うさまが凄まじく、まるで分身の術で敵を惑わす忍者のようで、聴いているうちに頭がクラクラして、楽譜を見ながら聴いてもどっちが正体なのか分からなくなってくる。
 
未知なる「バージョン3」として、バッハの原曲にブラームスの両バージョンの対旋律を重ね合わせた三重奏に期待。

無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番BWV1006(バッハ)の管弦楽版

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<曲名>
無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番ホ長調BWV1006~前奏曲(バッハ)
 
前回につづいてバッハ・トランスクリプション。これは有名な曲なので、いろんな編曲があります。せっかくバッハがヴァイオリンという楽器の可能性を最大限に追及するためにあえて無伴奏で書いた曲にわざわざピアノ伴奏を追加したシューマンやメンデルスゾーン、ピアノ独奏に編曲したサン=サーンスやラフマニノフなど。
 
そして管弦楽版。バッハの「無伴奏ヴァイオリン」原曲は4本の弦を駆使してシャコンヌやフーガのような多声音楽に果敢にチャレンジする一方、このホ長調の前奏曲は最後のほうのごく一部に重音がある以外はほとんど単旋律で、でも背後には確かにハーモニーを感じさせるという神業的な作曲技術。その隠れたハーモニーを顕在化させ、しかも大管弦楽で強調するという暴挙!これを余計なお世話と言わずして何と言おうか。
 
<演奏>
(1)レオポルド・ストコフスキー指揮彼の交響楽団【1958~59年録音、EMI】
 
シンフォニック・バッハの代名詞、ストコフスキー(1882~1977)の編曲による弦楽合奏版。原曲の冒頭は短い休符ですが、ストコフスキーは強烈な押し出しでいきなり聴き手をのけぞらせる。その後もヴァイオリンの無伴奏と弦楽合奏を対比させたり、単旋律を複数パートで分け合ったりして工夫を凝らしているが、ハーモニーの補強はわりとシンプルで、輪郭を強調する程度。意外性はあまりない。
 
(2)アンドリュー・リットン指揮ロイヤル・フィル【2010年8月14日収録(Live)】
https://www.youtube.com/watch?v=zUCsmhQk4L0 (6分03秒のうち1分47秒から)
 
プロムスの創始者ヘンリー・ウッド(1869~1944)の編曲による管弦楽版のプロムスにおけるライヴ。この動画の前半は「平均律クラヴィア曲集第1巻第3番」で、それにつづくのが無伴奏の管弦楽版です。ヴァイオリンはほぼ原曲通りに弾き通し、そこに木管が絡んできたり、金管がオルガンのように肉厚のハーモニーを付けたりして、アイディアの豊かさと音響的な美しさを両立させた見事なオーケストレーション!冒頭の一撃のほか、原曲には存在しない音をたくさん加えているのに、わざとらしくない。エンディングはまるでオリンピックかW杯の開会式かと錯覚するほど豪華絢爛な壮麗さで、非常に感動的。間違いない!
 
(3)セルゲイ・クーセヴィッキー指揮ボストン交響楽団【1945年録音、VICTOR原盤/Biddulph復刻】
 
リッカルド・ピック=マンジャガッリ(1882~1949)の編曲による弦楽合奏版。このストコフスキーと同年生まれの長い名前の人は「オラフの踊り」というバックハウスやチッコリーニも弾いたピアノ曲で知られる作曲家(←今、調べた)。この編曲でもヴァイオリンが主導しますが、他のパートの絡み方はヘンリー・ウッドの編曲よりもはるかに複雑で、ほとんど対旋律を形成しているほど。せっかく知的なアプローチでバッハ好きを唸らせるのにエンディングはストコフスキーのような仰々しさ。これは指揮者の責任か。
 
(4)鈴木雅明指揮バッハ・コレギウム・ジャパン【2011年放送(Live)】
譜例の前奏曲(Loree註:BWV1006の自筆譜、1720年)は1729年のカンタータBWV120aの第二部を開始するためのシンフォニアとして一種のオルガン協奏曲に編曲された。このオルガン協奏曲はその2年後の1731年には伴奏部を拡大した形でカンタータBWV29の冒頭楽章としても使われている。さらに1736、37年頃には当該のパルティータ全体がリュート(?)用に編曲された(自筆譜は武蔵野音楽大学所蔵)。以上のような度重なる編曲からバッハがこの曲をいかに好んでいたかが窺われる。(小林義武「バッハとの対話-バッハ研究の最前線」小学館、2002年)
原曲の単旋律をオルガンが嬉々として弾き通し、それを弦楽合奏と2本のオーボエ、3本のトランペット、ティンパニで彩る祝祭的な気分に満ちた管弦楽版。ちなみに、この編曲でも冒頭の一撃を加えている。トランペットは現代と異なるナチュラル・トランペットで、駅のキオスクか銭湯の脱衣場で腰に手を当ててもう片方の手に牛乳ビンを持ってイッキ飲みするおじさんのような姿勢で吹いている。なんか凄い。エンディングで豪快に連打するティンパニも、もはや無伴奏の世界とはかけ離れているけど気分爽快!これはカンタータ第29番のシンフォニアに転用された、バッハ自身の編曲です。もしかしてだけど~、バッハは自作の管弦楽化をメチャ楽しんでるんじゃないの~♪

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