タイスの瞑想曲(マスネ)

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<曲名>
タイスの瞑想曲(マスネ)
~歌劇「タイス」第2幕より

恋する年頃の少女タイス。彼女には想いを寄せる男の子がいます。ハープとオーケストラの伴奏に乗って独奏ヴァイオリンが奏でる甘美なメロディは、恋の陶酔を表わしているかのようです。

まだ、両想いのラブラブではない。そうかと言って、片想いでもなさそう。もどかしくて胸が苦しくなる夜もあるけど、ひょっとしたら彼も私(タイス)のこと好きなのかなって感じる瞬間もある。お互いの心が通い合う一歩手前の、恋の期待と不安が入り混じったこの気持ち、けっこう心地いいかも…。

以上、妄想おわり。

本当の歌劇「タイス」は、こんなお話です。

<あらすじ>
舞台は4世紀のエジプト。美貌の娼婦タイスは、その性的な魅力で街中の男たちを堕落させています。その有様を嘆いた堅物の修道士アタナエルはタイスに対し、快楽に溺れた生活をやめて信仰に生きるよう説き、「朝まで家の外で待っている」と言ってタイスに決断を迫ります。(この後、演奏されるのが「タイスの瞑想曲」)

タイスは俗世間を捨てて改心する決意をアタナエルに伝えます。アタナエルはタイスを尼僧院に連れて行きますが、いよいよ尼僧院に着いてタイスと別れるときになって、自分がタイスを愛してしまったことに気づくのです。自分の修道院に戻ってからも苦悶の日々を送るアタナエル。

やがて、タイスが病に倒れて瀕死の状態にいると聞いたアタナエルは、たまらずタイスに会いに行きます。アタナエルは必死に愛を訴えますが、死の床にいるタイスには聞こえないようです。タイスは神のもとへ旅立つ幸福感に包まれながら息を引き取ります。傍らで絶望の叫びを上げるアタナエル…。

1894年初演。

先日、ゆうちゃんから「タイスって、どんなお話?」と聞かれました。う~ん。小学3年生の女の子に対して娼婦やら肉体的快楽やらと説明するのは教育上いかがなものでしょう(汗)

悩んだお父さんは、次のように話しました。

ぼく : 昔、タイスという、かわいくてモテモテの女の子がいました。
ゆうちゃん : うん。
ぼく : でも、タイスは、誰とでも付き合っちゃう子だったの。
ゆうちゃん : え~。
ぼく : だから、アタナエル君は、タイスに「そんなことじゃダメだよ」って言ったんだよ。
ゆうちゃん : ふーん。
ぼく : そしたらタイスは真面目な子になったんだけど、アタナエル君がタイスのことを好きになっちゃったんだって。
ゆうちゃん : 意味ないじゃん。

エヴァ・メイ主演のDVDの日本語字幕と解説書を担当している吉田光司氏は、このオペラの中での「タイスの瞑想曲」の位置付けについて次のように書いています。

「この曲はタイスが悦楽と信仰の間で葛藤する姿を表していると、しばしば説明される。しかし、この後にこの曲が再現される時の用いられ方(オアシスの場面やタイスの死の場面)からすると、むしろこの音楽は、信仰に身を委ねたタイスの幸福を表しているのではないかとも思える。」

でも、音楽は、作曲者の真意や物語の文脈に関係なく人の心に響きます。

<演奏>
マイケル・レビン(ヴァイオリン)
フェリックス・スラットキン指揮ハリウッド・ボウル交響楽団【1959年録音、EMI】
http://www.amazon.co.jp/Meditation-from-Thais/dp/B005W1IC9I (試聴できます)

マイケル・レビン(1936~1972)。なんと陶酔的なタイス!朗々とした、太く密度の濃い音ですが、オイストラフのような威圧感はなく、たっぷりタメをつくって歌い込んでいきます。ここにあるのは憧れ。要所で決めるフラジオレットも最高のセンスで、ヴァイオリンという楽器はこんなにも多彩な表現ができるものなのかと耳も心も奪われます。

こんな情感豊かなタイスを聴いたら、ほかのヴァイオリニストは棒読みをしているようでまったく物足りない。フェリックス・スラットキン(レナード・スラットキンの父)が指揮するハリウッド・ボウル交響楽団もレビンと同じ感性でサポートしていて、この伴奏でなくてはと思わせます。

たぶん、この演奏は歌劇「タイス」において娼婦タイスが聖女タイスに生まれ変わる場面を想定していません。歌劇「タイス」の解釈としては間違っているかもしれないけど、ぼくは若きレビンを選ぶことを躊躇する気はないのです。

自称ロマンチストにはたまらない、夢心地のタイス。

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酒・女・歌(ヨハン・シュトラウス2世/アルバン・ベルク編曲)

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ある人は、「ヴィヴァルディは同じ協奏曲を600回書いただけ」と言いました。ヨハン・シュトラウス・ファミリーのワルツにも、同じことを言いたくなる人がいるかもしれません。

歴史的には、ヴィヴァルディの作品は「アヴァンギャルドで実験的な性格」(アーノンクール)と評されていますし、ヨハン・シュトラウス2世のワルツだって、ダンスの伴奏音楽には不釣合いなくらいシンフォニックだったり、長大な序奏を置いたりして、革新的な性格を備えていたわけで、凡百のワンパターン・メーカーじゃないことは言うまでもありません。

だいたい、人は興味のない世界ではAとBの違いが分からないものです。ぼくも、おニャン子(←齢がバレる)や、モ~娘。のメンバーを識別しろと言われても無理です。

それはさておき。

<曲名>
ワルツ「酒・女・歌」(ヨハン・シュトラウス2世)

NAXOSの日本語解説書によると、このワルツは「酒・女・歌を愛さない者は一生愚か者である」という、マルティン・ルターによって書かれたとされる文を歌詞にもつ男声合唱付きの作品として作曲されました。なぜこの文が歌詞に採用されたのか。大いに気になりますが、それについては解説書には書かれていません。そこ、重要だろっつーの。

音楽の内容としては「酒・女・歌」を愛する様子を直接的に表現したわけではなく、いつものシュトラウス・ワールド以上でも以下でもありません。ぼくのブログのタイトルにも、もちろん深い意味はありません。ほ、ほんと。

<演奏>
アルバン・ベルク四重奏団ほか【1992年録音、EMI】
http://www.amazon.co.jp/dp/B001CRGT28
(試聴できます)

アルバン・ベルク(1885~1935)による、弦楽四重奏にピアノとハルモ二ウムを加えた六重奏のための編曲。このアルバムには、ほかにも、ウェーベルン編曲の「宝のワルツ」、シェーンベルク編曲の「皇帝円舞曲」等が含まれていますが、いずれもサロン風の編曲なので、無調音楽に化けていたり不協和音が出てきたりはしません。ご安心を。

休日の夜、ホロ酔い気分で聴くために製作されたような、素敵な一枚。

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