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シンフォニック・バラード(山本直純)

ゆうちゃんは小学4年生。素直で明るく、健康的でスタイル抜群の美少女です(←親バカ)。
 
今月からお小遣いをあげることにしました。今日が初めてのお小遣い日。ゆうちゃんは昨日からそわそわしています。お父さんの会社の株価に応じた変動相場制と、お母さんのお手伝い(お風呂掃除と洗濯たたみ)に応じて1~2ドル(円換算)加算する出来高制によって、今月のお小遣いはいくらになったかな。初めてのお小遣いでお父さんとお母さんに何かプレゼント
…とは夢にも思わず、「ちゃお」という雑誌を買うそうです。ま、いいか

 
では、今日の本題。
 
<曲名>
「シンフォニック・バラード」~ロマンス(山本直純)
http://www.youtube.com/watch?v=ldfLeY_UeP4 (3分55秒)
 
山本直純(1932~2002)と言えば、一筋縄ではいかないユニークな指揮者であり、作曲家でもあります。悪友・岩城宏之のエッセイ『森のうた-山本直純との芸大青春記』(※1)で暴露された芸大時代の爆笑エピソードの数々はそのままドリフの脚本に使えそうです。
 
作曲家としては、交響曲第45番「宿命」やピアノ狂騒曲「ヘンペラー」など、誰も真似できない(真似しようとも思わない?)高度なパロディー音楽(※2)で聴衆を笑わせる一方、「男はつらいよ」「8時だョ!全員集合」「一年生になったら」など、日本人にはおなじみの曲も多数作曲。
 
そして、「シンフォニック・バラード」。テレビ番組「オーケストラがやってきた」の終了(1983年)に際して書かれたというこの作品の第2曲「ロマンス」の極甘ハーモニーに包まれた極甘メロディ!自称ロマンチスト(ぼく)にはたまらない。「女の子を音楽で口説け」と言われたら躊躇なくこの曲を選びます。
今でも覚えているのはね、結局…「オーケストラがやってきた」ってのをやってると、彼、ものすごく目立ちたがり屋なんだよ。ぼくは後から入ってきて、ぼくも指揮をしてたんですよ、最後の2年くらいでしたかね。そうすると、やっぱり彼は、ちょっと、競争意識を持つのかな。彼はね、しゃべると前に出るんです。ぼくもちょっと若かったから前に出るでしょ。もっと前に出る、前に出る、どんどん前に二人で出ていってね、気がついたらもう舞台ギリギリだったってのを覚えてますね。それから、彼はね…今日の音楽でもいくらでも出てきますけどね、ダジャレの塊の人間でね、それで音楽もそうなっちゃいましたね。だからびっくりしたのは彼が「オーケストラがやってきた」の最後に書いた曲、バラード…「シンフォニック・バラード」。あれ、本当、書きたかったんじゃないかな、ああいう音楽をね。ああいう音楽をずっと書いていられたら彼はもうちょっと…ん~。彼自身のある部分には正直だったんじゃないかなと思うんですけど。やっぱり人間、二面性、誰でも持っていますから。もう一つのほうはテレビのほうで前へ前へ行って前に出て出てやる、もう一つはとってもロマンティックなほう。今日はね、これを両方見れてちょっとおもしろかったです。(井上道義、2003年5月2日≪山本直純フォエヴァー・コンサート≫舞台裏にて)
※1 『森のうた-山本直純との芸大青春記』(岩城宏之、講談社) http://www.amazon.co.jp/dp/4062737620
※2 山本直純フォーエヴァー歴史的パロディー・コンサート http://www.amazon.co.jp/dp/B00008NX1E
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チャルダッシュの女王(カールマン)

イメージ 1
 
イメージ 2
 
身分違いの恋。
 
危険な恋なら数知れず(←ウソ)、百戦錬磨(←大ウソ)のぼくも、このシチュエーションは経験ない。間違いない!
 
<曲名>
喜歌劇「チャルダッシュの女王」(カールマン)
 
<あらすじ>
侯爵の御曹司エドウィンは劇場の歌姫シルヴァ(チャルダッシュの女王、今ふうに言うとAKBのセンター)と熱愛中だが、身分違いの恋にエドウィンの両親は大反対。ところが実は、エドウィンの母親もかつてチャルダッシュの女王だった!夫にも隠していたそんな衝撃過去が発覚し、若い二人の結婚を認めざるを得ず、ハッピーエンド。
カールマン(1882~1953)は、同じハンガリー出身の「メリー・ウィドウ」で有名なレハール(1870~1948)よりほんの少し後の世代のオペレッタ作曲家です。「チャルダッシュの女王」は1915年にウィーンで初演されました。19世紀ウィーンの大御所だったヨハン・シュトラウス2世(1825~1899)のオペレッタとはもはや別世界。その魅力は寺崎裕則氏(日本オペレッタ協会会長)が紹介している初演当時の新聞評が的確に表現しています。
カールマンは常に片足をハンガリーの大地に、片足をウィーンに突っ込んでいる。ハンガリーの大地からはチャールダーシュが生まれ、ウィーンからはウィンナ・ワルツが生まれる。チャールダーシュとウィンナ・ワルツは縦糸と横糸になって織りなされ、情熱的な激しさと洗練された愛らしさ、色彩感あふれる感性豊かなカールマン織りのオペレッタを形作る。(ダス・ノイエ・ヴィーナー・ターゲブラト紙)
<演奏>
ベルト・グルント指揮グラウンケ交響楽団【1971年制作、UNITEL】
アンナ・モッフォ(シルヴァ役:ソプラノ)
ルネ・コロ(エドウィン役:テノール)
http://www.amazon.co.jp/dp/B0001N1PRS
サウンドトラックCD(セリフ抜き・音楽のみ)
http://www.amazon.co.jp/dp/B000FTW8JM (試聴できませんが、基本的に映画版と同じ)
 
収録曲>
1)Vorspiel (序曲)
2)Heia, heia, in den Bergen ist mein Heimatland (ハイア、ハイア、山こそわが心の故郷)
3)Schau' kein Mädel (女なんか)
4)Sich verlieben kann man öfters (好きになるのはよくあるが)~Mädchen gibt es wunderfeine (素敵な女性はたくさんいるけど)
5)Alle sind wir Sünder (俺たちみんな罪人さ)~Die Mädis vom Chantant (歌の上手な歌姫は)
6)O jag' dem Glück nicht nach auf meilenfermen Wegen (幸福は遠くまで追ってはダメ)
7)Tanzen möcht' ich (踊りたい)
8)Das ist die Liebe (それが恋)
9)Weißt du es noch (おぼえているかい)
10)Machen wir's den Schwalben nach (燕にあやかって)
11)Nimm Zigeuner deine Geige (ジプシーよ、ヴァイオリンを手に取り)Jaj Mamám (ヨイ、ママン)
12)Schau' kein Mädel (女なんか)
13)Die Mädis vom Chantant (歌の上手な歌姫は)~Das ist die Liebe (それが恋)~Tanzen möcht' ich (踊りたい)
 
♪好きになるのはよくあるが https://www.youtube.com/watch?v=070a_VWTW5w (14分33秒~)
(注)日本語字幕は出ません。
 
この映像は映画版です。まるでミュージカル!音楽は映像制作当時のセンスで大胆にアレンジされ、構成もオリジナルとは違いますが、このデュエットの場面はとろけるように甘美でとっても素敵。
 
アンナ・モッフォは実力と美貌を兼ね備えた名ソプラノですが、ミニスカートの衣装はやや痛々しく、シルヴァとしては声も態度も落ち着きすぎている。劇場一の人気歌手はもっと弾けるような若さと気性の激しさがあってもいい。
 
一方、相方のルネ・コロ。なかなか甘いマスクです。後年、ワーグナー歌手として活躍し、来日中に原宿でオヤジ狩りに遭い、東スポでも報道されるとは(→ http://www.classicajapan.com/newsbn4.html )、この時点で誰も知りません。
 
音だけでこのオペレッタの名旋律に酔いたい方はサウンドトラックCDをどうぞ。
 
最終更新日:2015年11月29日

もうひとつの「タイスの瞑想曲」(マスネ)

イメージ 1
 
有名な「タイスの瞑想曲」は、娼婦タイスが修道士アタナエルの説得により改心する場面の音楽です(第2幕)。実は、この音楽は第3幕でも少し形を変えて登場するのです。
 
一つは、アタナエルが引き連れて行った尼僧院にタイスが引き取られる場面。タイスがアタナエルに「さようなら、永遠に!」と別れを告げると、アタナエルはようやくタイスを愛してしまった自分に気づき、瞑想曲の音楽をバックに「もう二度と彼女に会うことはない…」と苦悶します。アタナエルよ、今さら何を言っている!
 
そしてもう一つは、最後(タイスの死)の場面。
 
<曲名>
歌劇「タイス」第3幕~最後の場面(マスネ)
 
<演奏>
エヴァ・メイ(タイス:ソプラノ)、ミケーレ・ペルトゥージ(修道士アタナエル:バス)
マルチェッロ・ヴィオッティ指揮フェニーチェ歌劇場管弦楽団【2002年、DYNAMIC(TDKコア)】
http://www.hmv.co.jp/product/detail/3817743
https://www.youtube.com/watch?v=tJNFuKsp4pY (最後の場面は2時間04分36秒から)
※日本語字幕は出ません。
 
最後の場面は瞑想曲の音楽をバックとしたタイスとアタナエルのデュエットです。でも、二人が言っていることはまったく噛み合っていません。瀕死のタイスのもとに駆けつけたアタナエル。アタナエルは自分が改心させたタイスに対する欲望を抑えきれず、聖職の立場もかなぐり捨てて熱い想いを訴えますが、その声はタイスの耳には届いていません。タイスが感じているのは天国に行く喜びであり、幸せなのです。
 
いよいよタイスに天国が見えてきたとき(第2幕の瞑想曲では再現部に当たるところ)、マスネはここから瞑想曲とは別の音楽に差し替えます。ますます豊潤な調べ。瀕死にもかかわらず高音(ハイD)をバッチリ決めるタイス。信仰心のまるでないぼくには分かりませんが、宗教的陶酔とでも言ったらよいのか…。浄化も感じさせる見事な音楽は完全にタイスの心情に沿っていて、アタナエルの悲嘆はわずかに最後の瞬間だけ短調に転落して表現されるのみです。
 
ところで、この舞台の官能的な演出にはちょっとびっくりです。若くて美形の主役エヴァ・メイは第3幕でバストトップの露出もいとわない体当たりの演技を見せます。また、第2幕の瞑想曲の場面でも別の女性ダンサーがほぼ全裸でタイスの改心をモチーフにした踊りを見せたり、その他の場面でも半裸のダンサーが多数登場。ぼくはこのオペラに多少の肌の露出は求めたいけど、ここまでサービス(?)することには必然性を感じないなあ…。音楽に集中できな~い!
 
なお、残念ながら(?)最後の場面では脱ぎません。あしからず。

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