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現役最高齢バンドネオン奏者の90歳記念コンサートを聴く。

≪佐川 峯(さがわ みね)90歳記念コンサート≫ ~オスバルド・プグリエセに捧げる~
http://tango-bandoneone111.blogspot.com/2010/10/90.html
【日時】2010年11月20日(土)16時開演
【会場】ゲバントホール(広島市)
【曲目】
<前半>
1)ジェラシー(嫉妬)
2)コラソン・デ・オロ(黄金の心)
3)ブルー・プレリュード
4)ラ・クンパルシータ(仮装行列)
以上、バンドネオン独奏
5)エル・アマネセル(夜明け)[※1]
6)水色のワルツ
以上、バンドネオン二重奏+“トランペット・ヴァイオリン”
7)パラ・ドス
8)ロス・マレアドス
以上、男女ペアのダンサーによるステージ(音楽はオスバルド・プグリエセ楽団の録音を使用)
<後半>
1)レクエルド(想い出)
2)バンドネオンの誘惑
3)君に
4)オレ・グァパ(ヤー、カワイ子ちゃん)
5)ポエマ
6)センチメント・ガウチョ
7)リンゴ追分
アンコール)ラ・クンパルシータ(仮装行列)[※2]
以上、クインテット(バンドネオン、ヴァイオリン×2、ピアノ、コントラバス)
 
イメージ 2
 
現役最高齢バンドネオン奏者、佐川 峯さんの90歳記念コンサートを聴きました。佐川先生は1919年(大正8年)生まれ、90歳。特にタンゴの熱心な聴き手でもないぼくはバンドネオン奏者といえばアストル・ピアソラと小松亮太しか知りませんでしたが、本年7月14日付の日経新聞の文化欄にご本人が寄稿された記事には強烈なインパクトを感じました。少し長くなりますが、日経新聞の記事を引用しながら佐川先生の経歴を紹介します。
○昭和のはじめ、こっそり潜り込んだ銀座のダンスホールで初めてバンドネオンの音を聴き、ショックで身体が動かなくなった。まだ15歳だったので外へつまみ出されたが、以来、それまでやっていたアコーディオンに見向きもしなくなった。弾き方は似ていても、バンドネオンの音はアコーディオンと全く違う、深い魅力があった。
○20歳になる1939年に大連に渡る。ダンスホールに所属するバンドに入ったが、一番の下っ端である自分はいつも先輩から「やめろー!」と怒鳴られて手をひっぱたかれた。誰もきちんと教えてくれない。左右にそれぞれ30以上のボタンのあるバンドネオンは、ドレミファだけでも弾き方が幾通りもある。コツコツ勉強した。
○日本に引き揚げると、焼け野原にダンスホールがたくさん生まれていた。東京のバンドに所属し、全国を回り、映画やテレビを含めてたくさんの仕事をした。休日はおおみそかしかなかった。1950年から福岡で25年ほど活動。その後、神戸に移るつもりだったが、途中で立ち寄った広島でクラブのオーナーに誘われ、そのまま居ついてしまった。
○今も使っているバンドネオンは、名手フェデリコ・スコルティカティから譲り受けたもの。まさに本場のアルゼンチンで伝説のマエストロが弾いていた楽器である。彼らマエストロたちの音は、若い者のそれとは違う。その人独自の音を持ち、ゆっくりとした曲でも聴衆を引きずり込む。自分も長い修業の末にようやく「心にしみる音色」などと言ってもらえるようになった。
○昨年暮れに90歳になった。今年はその記念に東京をはじめ国内3都市をコンサートで巡っている。1995年、タンゴの故郷アルゼンチンのブエノスアイレスを初めて訪れ、尊敬する巨匠オスバルト・プグリエセの墓前で「あなたの代わりに90歳の記念コンサートをします」と誓ったからだ。11月まで神戸や広島でコンサートを開くが、それで終わるつもりはない。100歳のコンサートも、絶対にやろうと思っている。
90歳になった今、全国区で脚光を浴びるバンドネオン奏者。楽器は違うけど、ピアニストのミエチスラフ・ホルショフスキー(1892~1993)を連想してみたりする。こんな途方もないキャリアを重ねたマエストロが地元・広島にいたなんて知らなかった。ぜひ聴きたい!!
 
ところが、あいにく当日は大阪で仕事の予定。でも、タンゴのコンサートが満席になるとは思えないので(←偏見)、急ぐこともない、予約の電話を入れたのは当日の4日前。そしたらなんと、まさかの売り切れ!キャンセル待ち5人目。なんという誤算。しかし幸運にも前日の午前中にようやく繰り上げ当選の電話が入り、チケットをゲットできました。つまり、キャンセルが5人も出たということ?ま、それはともかく、行くしかない!!
 
というわけで、大阪での予定を午前中で切り上げて広島に帰り、聴きました!収容人数300名程度の小ホールが見事に満席、それにしても客層の年代が偏りすぎ!!どう見ても自分の両親よりはるかに上の人たちばかり。平均年齢は70歳を下回らないと思われる。前日になってキャンセルが続出した理由がなんとなく分かったような気がした。
 
実はタンゴのライヴを聴くのは初めてです。生バンドネオンも初めて。知らない曲ばかり。え~と、「ジェラシー」「ラ・クンパルシータ」だけ知ってる。他は曲名すら知らないけど、隣の席のおばあさんはどの曲も知ってる様子。つまり、今日の聴衆の大半は往年のタンゴ・ブームの時代をリアルタイムで経験し、おそらく昔から佐川先生の演奏を聴いてきた人たちなんだろうな。会場の雰囲気もなんとなく温かい。
 
ぼくは最前列中央を確保(全席自由)。バンドネオンを間近で見たいし、聴きたい。ほんの2~3m先、まさに目の前に佐川先生の椅子がある。開演時間になるとホールの全照明が落とされ、真っ暗でシーンと静まりかえる中、佐川先生がこれまた静かに一人で登場。誰も拍手しない。佐川先生は真っ暗な会場でいきなり1曲目「ジェラシー」をソロで弾き始める。この曲は、アーサー・フィードラー指揮ボストン・ポップスの録音があるから知ってる。序奏が終わってタンゴが始まるタイミングに合わせて、急に照明がつく。クラシックのコンサートとはだいぶ違うな~!とは言え、照明は1種類。カラフルなスポットライトがグルグル回るなんてことは、ない。基本的には目に優しい照明。落ち着いて音楽に集中できる。
 
佐川先生の4曲独奏の後、愛弟子の若き女性バンドネオン奏者が登場し、二重奏となる。2曲のうち、「エル・アマネセル(夜明け)」は“トランペット・ヴァオリン”(発明者にちなんで“Stroh violin”とも言う)も参加した三重奏。この珍楽器は昔のアルゼンチンの楽団ではよく使われていたらしい。ヴァイオリンの胴体の横に文字通り金管のラッパが付いている!初めて見た。(こんな楽器です→ http://www.youtube.com/watch?v=IkO5y-To3H0
 
前半の最後は若い男女のダンサーが登場し、佐川先生が尊敬するオスバルド・プグリエセ楽団の録音をバックにダンスを2曲(演奏はお休み)。そうか、タンゴはダンスだ。タンゴのダンスを生で見るのは初めて。社交ダンス…とは違う。動きは激しく、ときにアクロバティック。情熱的でセクシー!!
 
後半は、クインテットで7曲。白眉はオスバルド・プグリエセ作曲の「レクエルド(想い出)」。プグリエセは90歳記念コンサートの準備をしているときに亡くなったタンゴの巨匠。佐川先生はプグリエセの墓前で「あなたの代わりに90歳の記念コンサートをします」と誓い、それが今日実現している。そんな思いから、佐川先生は演奏中に感極まって号泣。弾きたくても涙が止まらず、曲の半分くらいはバックの4人だけで演奏が進行していたような。温かい拍手に包まれる会場。プグリエセに対する尊敬の念、思い入れ、タンゴに対する深い愛情、これらをすべて含めて佐川峯ワールドなんだな。感動的なステージでした。
 
それにしても、佐川先生の圧倒的な存在感!バンドネオンの技術的なことはまったく分からないけど、正直、前半の独奏では多少の粗雑さを感じたことも確か。ところが、後半のクインテットは完全に佐川先生の独壇場!いつの間にか、年齢のことはすっかり忘れて演奏に引きずり込まれている自分に気づく。娘や孫のような女性奏者4人を従えて生き生きとリードする佐川先生。カッコよすぎる。
 
当日の曲目は、「ジェラシー」はデンマーク、3曲目の「ブルー・プレリュード」はアメリカのジャズ、有名な「ラ・クンパルシータ」はウルグアイ、「水色のワルツ」「リンゴ追分」は日本の歌謡曲、「バンドネオンの誘惑」「君に」は佐川先生の自作。このように、アルゼンチン・タンゴだけでなく世界の様々な音楽を取り入れた多彩なレパートリー。ところが、ピアソラは1曲もないのです!要するに、佐川先生のベースにあるのはトラディショナルなタンゴなのです。この後、あらためてピアソラの名盤≪タンゴ:ゼロ・アワー≫を聴いてみると、その凄味がより強烈に伝わってくる。“タンゴの革命児”というピアソラの異名がようやく腹に落ちた気がする。
 
でも、今、ぼくが聴きたいのは佐川先生のバンドネオンなのです。しばらくこの世界から抜けられそうにありません。
 
イメージ 1
 
≪COMO UNA LLAMA 炎のように≫
http://minesagawa.web.fc2.com/disc.html
 
[※1][※2]
この2曲は会場売りしていた佐川先生のレコード≪COMO UNA LLAMA 炎のように≫(1984年録音)の復刻CDRにも収録されていました。これが素晴らしいタンゴ名曲名演集!買ってよかった!!
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ショパンの楽器で聴く!華麗なる大円舞曲

今回はヘンテコな編曲版ではありません。また、新シリーズ「まるでショパン」でもありません。本物のショパンです。間違いない!
 
1999年から2000年にかけて某局で放映された10回シリーズの番組「シャ●ル・●ュトワの若者に贈る音楽事典」は、デュ●ワが毎回違う都市を訪れてその土地ゆかりの作曲家や音楽文化を紹介するという、まるで今年の名古屋フィルの定期を先取りするような名企画でした。単なる旅行番組でなく、デ●トワなどの演奏もあり、歴史的に有名な音楽シーンの再現ドラマもあり、教室風じゃないところがいい。ショパンはパリ編で登場しました。
 
<曲名>
華麗なる大円舞曲(ショパン)
https://www.youtube.com/watch?v=Km9geHN-rpg
 
1836年、パリ。小説家ジョルジュ・サンド、詩人アルフレッド・デ・ミュッセ、画家ウジェーヌ・ドラクロワが待つマリー・ダグー伯爵夫人(※)のサロンにて、フランツ・リストがショパンを紹介する。ショパンとサンドが初めて出会ったシーンの再現ドラマ。皆に促されてピアノに向かったショパンは「華麗なる大円舞曲」を披露し、喝采を浴びる。
 
マリー・ダグー伯爵夫人
フランツ・リストと愛人関係にあったことでも有名。二人の間に生まれた娘がコジマ。コジマは最初にハンス・フォン・ビューローと結婚し、のちにワーグナーと再婚。●ュトワの番組は「若者に贈る」教育番組のため(?)、この点には一切触れず。
 
史実として、ショパンはこのとき本当に「華麗なる大円舞曲」を弾いたのか?ひょっとしたらこの再現ドラマは1%の史実と99%の妄想の産物かもしれないけど、ショパン=パリ=サロンという音楽史上の重要シーンを妄想してみるのは夢がある。
 
この再現ドラマでショパン役に扮したベネズエラの若手ピアニストの演奏が実に鮮烈!番組の解説によると、このピアノはショパン自身が使用していたもの(メーカー不明)。画面に映った鍵盤を数えてみると、6オクターブ半くらいの華奢な体。青竹をスコーンと割ったような爽快なフォルテッシモ。ピアニッシモはささやくように。現代のピアノとは別物と言いたくなる。
 
18世紀(モーツァルト~ベートーヴェン初期まで)は5オクターブ程度だったピアノという楽器の音域がだんだん拡大していった時代、1台ごとの個体差は現代の比ではなかったはず。“ピアノの音”に対する固定観念が揺らぐ。現代のグランドピアノを弾く人が作曲者の指示とか原典版の楽譜に縛られるのは、使う食材が違うのにレシピ通りの火加減・塩加減で料理しようとする人とどこが違うだろう。どんな楽器を使うべきかを言いたいのではなく、使う楽器の特性に応じてふさわしい表現があるんじゃないのか、と考えてみたりする。
 
彼の演奏は緩急自在、ラスト1分間で駆使する多彩な音色には思わず息を呑む。この楽器でなければできない表現だ!原曲より美しい。てゆーか原曲通り

原曲より美しい!To Love Again(ショパンの夜想曲第2番)

<曲名>
To Love Again(ショパンの夜想曲第2番による)
http://www.amazon.co.jp/dp/B000AU1MZC
 
1955年のアメリカ映画「愛情物語」(原題:The Eddy Duchin Story)のテーマ曲。この映画は実在のピアニスト、エディ・デューチンの波瀾に満ちた短い生涯を描いたストーリーだそうです。が、見たことありません(汗)エディ・デューチンという人も知りません(汗)
 
しかし、“To Love Again”は映画を離れても有名な曲です。メインタイトルとフィナーレ、それぞれ異なるアレンジで、ショパンの原曲を生かしつつメロディーに絡んでくる甘い弦楽器が自称ロマンチスト(ぼく)にはたまらない。
 
<演奏>
カーメン・キャバレロ(ピアノ)
http://www.youtube.com/watch?v=AukVGIL0QCw (5分24秒)
 
カーメン・キャバレロはアメリカのピアニスト。「愛情物語」といえばカーメン・キャバレロ、カーメン・キャバレロといえば「愛情物語」。ムードピアノ業界ではリチャード・クレイダーマンの先輩格に当たるけど、キャラクターはまるで違う。“柔”のクレイダーマン、“剛”のキャバレロ。誰かがそんなふうに評していましたが、うまいことを言う。
 
この演奏はサウンドトラック盤に含まれないスロー・バージョン。キャバレロのピアノはイージー・リスニングとしては存在感がありすぎる。クラシックのリスナーにも受け入れられるのはキャバレロでしょう。ぶ厚い和音、しつこいほど散りばめられた装飾音も暑苦しくて、なんとも素敵。
 
ショパンの原曲より美しい。

自己紹介

明日(11月8日)、このブログは1周年を迎えます。ぼくをブログの世界に誘ってくださったYさん、そしていつもこのブログをご覧になってくださる方、コメントしてくださる方、皆さんに感謝の意を表します。
 
わが家にはパソコンもなく、アナログな生活をしてきた(現在もしている)自分がブログをやってるなんて、我ながら不思議な気がします。ネット上の人間関係はバーチャルだと言う人もいます。確かに、ブログ上の記事やコメントから受ける印象と実際にお会いしたときの印象は違うかもしれません。
 
しかし、最初は気づかなかった相手の意外な一面を知ることはリアルな人間関係でもよくあることだし、今ではそれは「程度の問題」という気がします。パソコンがなかった時代にも「文通」という手段で顔の見えない相手と交流することはあったと思いますし、今、自分がやっていることはその発展形なのかなと理解しています。皆さんとはブログがなかったら一生知り合う機会がなかったことは疑いようもありませんが、皆さんの存在も含めてこのブログを取り巻く環境はもう自分の人生の一部になっていると感じます。
 
あらためて、自己紹介します。
 
<HN> Loree
<血液型> B型
<趣味> このブログのタイトル通り。と言うと問題あるので、両端の2つだけにしておきます
<音楽歴>
1981年 小学校入学と同時にピアノを習い始める。(使用教本はメトードローズ
1982年 初めてのピアノ発表会で好評を博す。(クワイ河マーチクリーガーのメヌエット
〃  自作自演を初録音。
1983年 転校し、ピアノの師匠が変わる。
1984年 夏休みの音楽感想文の宿題で、父の薦めによりモーツァルトのピアノ協奏曲第17番を聴く。
1985年 上級生の卒業式でBGMとして使用されたバッハのホ短調のフルート・ソナタに心を奪われる。
〃  初めてオーケストラの演奏会を聴く。(外山雄三指揮読売日本交響楽団)
〃 バッハのインヴェンション(グレン・グールド)のレコードを聴いて、初めて「演奏」を意識する。
1986年 2回目にして生涯最後のピアノ発表会で好評を博す。(ベートーヴェンのソナタ第20番
〃 近所の図書館からバッハの管弦楽組曲第2番を借りて聴いて心底感動する。
1987年 毎朝6時のFM「朝の音楽散歩」(のち「あさのバロック」)を聴き始め、バロック少年となる。
1988年 練習嫌いのため、惜しまれつつピアノのレッスンを辞める。(最後のレッスン曲はバッハのイタリア協奏曲モーツァルトのソナタ第12番K332
〃 初めて自分で音楽ソフトを買う。
1989年 初めて自分でCDを買う。
初めて自分で買ったCDたち
■シャルパンティエ/テ・デウム(ミシェル・コルボ指揮)
■パーセル/歌劇「ディドーとエネアス」(コリン・デイヴィス指揮)
■ヘンデル/合奏協奏曲集作品3(レイモンド・レパード指揮)
■ロカテッリ/「ヴァイオリンの技法」作品3抜粋(イ・ムジチ)
■J・C・バッハ/交響曲集(ネヴィル・マリナー指揮)
1990年 高校入学。CDの枚数がだんだん増えていく。レパートリーが古典派以降に拡大。
1993年 大学入学と同時にオーケストラ入部。オーボエを始める。使用楽器は「Loree」(定価90万円)を師匠の顔で3割引で購入。オーケストラ初体験曲はニコライの「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲
1994年 リコーダーを中心とする古楽アンサンブルとかけもちするようになる。
1995年 史上最高の円高。自分のと同じオーボエが定価70万円まで下がり、ショックを受ける
1996年 人生最初で最後のオーボエソロステージ。(チェンバロ伴奏でドニゼッティのオーボエ・ソナタ
1997年 シェレンベルガー(ベルリン・フィル首席オーボエ)の公開レッスンを聴講(←客席でただ聴いただけ)
〃 就職と同時に地方赴任、現地の市民オーケストラ入団。クラリネットの妻と知り合う。
〃 バロック・オーボエを衝動買いする。(全然練習せず)
1998年 結婚。
1999年 地元テレビ局の番組で市民オーケストラの演奏会が県下全域に放送される。(TVデビュー)
2000年 転勤に伴い、市民オーケストラ退団。現役引退。(最後のステージはモーツァルト/交響曲第40番
〃 娘 誕生。
2003年 娘 ヴァイオリンを習い始める。
2006年 娘 初めての発表会。(伝バッハのト長調のメヌエット
2007年 娘 ジュニア・オーケストラ入団。
2009年 娘 妻のオーケストラとかけもちするようになる。
2010年 広島交響楽団の演奏会を聴きに行った際、地元テレビ局からインタビューされる。
 
現在は後進の指導(娘の演奏にケチをつけること&ビデオ係)と、好きな音楽を好きなように聴くことが音楽生活の両輪です。もともと自分のオーケストラ経験は大したことはなく、ささやかな現場経験を通じて「オーケストラを聴く耳」を持てたことが最大の収穫でした。近い将来、娘が音楽を一生の趣味だと思ってくれるようになることが当面の夢です。
 
今後もおつき合いいただけたら、とてもうれしいです。どうぞよろしくお願いします

プロフィール

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Author:violin20090809
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