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広島交響楽団の演奏会を聴く。

中四国唯一のプロオーケストラ、広島交響楽団(広響)。
 
学生時代はよくコンサートに行きましたが、社会人になってからの10数年は平均すると年1回以下。そんなぼくが最近1年間で広響を聴くのは3回目。ついに定期演奏会にデビュー。人が変わったように再びコンサート通いをするようになったのは、ブロ友さんの影響以外に理由はないと思われます。
 
今回は、同じ職場で隣の席の女の子(24歳)をお誘いしました。彼女は特にクラシック・ファンではないけど、最近はYouTubeで「くるみ割り人形」を聴いたり、また絵画などの芸術にも関心があると聞いていたので、今回のプログラムこそ聴いてもらいたいと思い、数ヶ月前からお誘いしていたのです。
 
広島交響楽団第306回定期演奏会
指揮:パスカル・ヴェロ
【日時】2011年2月24日(木)18時45分開演
【会場】広島市文化交流会館(旧・広島厚生年金会館)
【曲目】
○ドビュッシー/交響組曲「春」
○イベール/寄港地
○ラヴェル/ラ・ヴァルス
○ドビュッシー/牧神の午後への前奏曲
○ドビュッシー/海
 
ご覧の通り、昨年11月の名古屋市民管弦楽団に対抗するかのような(?)オール・フランス・プログラム。指揮のパスカル・ヴェロ氏は仙台フィルの常任。広響には初登場です。
 
前半は、3曲。
 
ドビュッシー/交響組曲「春」
1曲目は、ドビュッシーの「春」。有名曲揃いのプログラムの中、この曲だけ知りません。ドビュッシーの未知の曲は、ぼくにとって「対象外」と等しく、広響の定期は開演時間が早いので、もし急な仕事が入ったら1曲目は捨ててもいいなと思いつつ、幸か不幸か(?)当日は何事もなく定時退社。余裕で間に合いました。

「春」はドビュッシーのローマ留学時代に書かれた、事実上の処女作(だそうです)。2つの楽章から構成。第1曲の冒頭は、フルートとピアノのユニゾン。ほ~、変わってるな。勝手な想像をすると、春の訪れの直前、まだ凍土が残る冷たい空気の中、若芽が少しだけ顔を出したかのような。やがて日差しが暖かくなり、草木が伸び伸びと育っていく。生命力に満ちた春の一場面(あくまで勝手な想像)。そんな感動的な映像を彷彿とさせる。なんて素敵な曲だろう!ぼくはすっかり魅せられてしまいました。彼女もこの曲が一番気に入った様子。第2曲はインパクトがやや弱く、どんな曲だったか思い出せない…。
 
当初、楽譜の提出を受けたフランス音楽アカデミーからは「印象主義」という言葉で遠まわしに非難されたらしい。1887年、かの「牧神の午後への前奏曲」(1894年)の7年前。そんな時代にはやや前衛だったのかもしれない。でも、現代人(ぼく)の耳にそんな違和感はなく、美しい春の景色が広がる。今、この曲はぼくのCD購入予定リストの最上位です。1曲目、間に合ってよかった~!
 
イベール/寄港地
-第1曲「ローマ~パレルモ」
-第2曲「チェニス~ネフタ」
-第3曲「バレンシア」
 イベールは、ドビュッシーやラヴェルよりも一世代後の人。ヨーロッパの港町(よく知らないけど)を巡る旅行記のような管弦楽曲。この曲との出会いは、忘れもしない1995年3月。学生オーケストラで2つ上の先輩たちが聴かせてくれた卒業演奏。
 
強烈なのは第2曲。静かな怪しいリズムに乗って、オーボエが最初から最後までソロで吹きっぱなし!そこはアラブの世界。チャイコフスキー「くるみ割り人形」の「アラビアの踊り」もそれらしい雰囲気だけど、「寄港地」のオーボエは「ヘビ使い」そのもの。広響の板谷さんの素晴らしいソロが、あの日の卒業演奏の涼子先輩と重なる。
 
第1曲と第3曲では、これでこそ生オーケストラを聴きに来た甲斐があると思わせる立体的でカラフルな大迫力サウンドを堪能。
 
ラヴェル/ラ・ヴァルス
「渦巻く雲の切れ目から、ワルツを踊る何組かの男女が垣間見える。雲が次第に晴れてゆくと、旋回する大勢の人でいっぱいの大広間が現れる。場面はますます明るくなり、フォルテッシモでシャンデリアの光が燦然と輝く。1855年頃のオーストリア帝国の宮廷。」(by作曲者)
 
大好きな曲!「ラ・ヴァルス」(フランス語)とはつまり「ワルツ」ですが、この曲はワルツそのものではなく、ワルツを題材とした交響詩のようなもの(もともとはバレエ)。クライマックスの興奮は狂気と紙一重。
 
この曲も、初めて聴いたのは1994年3月(「寄港地」の前年)、3つ上の先輩たちの卒業演奏。カッコよかったなぁ…。「寄港地」と並んで、思い出の1曲です。
 
休憩を挟んで、後半はドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」「海」。超有名曲ですが、「牧神」はともかく、「海」はいつ聴いてもぼくは何も感じることがない…。
 
さて、広響の演奏。当日のプログラムの感想をまとめて言うと、ムラがあったと思います。広響は第1ヴァイオリン10名という中型編成のオーケストラですが、今回はエキストラを多数動員し、打楽器はティンパニ込みで9名が舞台最後列を陣取って壮観!弦楽器もそれに合わせて数名ずつ増強。フォルテッシモではさすがプロオーケストラと思わせる合奏能力の高さを感じさせる一方、「ラ・ヴァルス」の冒頭はもっと不気味な雰囲気を醸し出してほしかったし、その後、最初のフォルテッシモが炸裂する直前、上質の生クリームがこぼれ落ちるような甘美なサウンドは美しいだけでなく、もっとセクシーであってほしかった。これまで聴いた「スコットランド」やブラ1といったドイツ古典はまとまりの良い演奏で作品の魅力を素直に感じましたが、近代フランスの音楽には異なるセンスが求められるのかもしれない。
 
パスカル・ヴェロ氏の指揮は、つねに両腕と上半身全体を使い、まるで踊っているよう!エレガントな紳士の振る舞いと大道芸人のコミカルさを足して2で割ったような独特の躍動感。「ラ・ヴァルス」も、まるでワルツそのもの。1曲目の「春」は、オーケストレーションが薄くなる箇所では広響の個々のパートの頼りない響きが気になる一方、楽器が少しでも重なってくると確かにフランス音楽らしい香りが生まれてくるのは、誰が指揮してもそうなるものではない(初めて聴いた曲だけど、たぶん)。ファンになりました。次は、「ダフニスとクロエ」を聴いてみたいな。
 
終演後の反省会(?)は、当社得意先の飲食店。昨年オープンし、二人とも通勤ルートの途中にあるので以前から気になっていましたが、これまで機会なく今回初めて入店。和をベースとしたオシャレな内装で料理も満足。
 
たまには、こんな過ごし方もいい。
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トッカータとフーガBWV565(バッハ)

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1705年10月。アルンシュタットでオルガニストの職に就いていた弱冠20歳の青年は、オルガンの巨匠ブクステフーデ(1637~1707)の演奏を聴くため、4週間の休暇をもらって約400kmも離れたリューベックまで徒歩で向かう。現地で接した老巨匠の噂に違わぬ情熱的でファンタスティックな演奏に青年はすっかり魅了され、無断で休暇を延長。アルンシュタットに戻ったときは翌年2月になっていたという。青年が厳しい叱責を受けたことは言うまでもない。
 
青年の名は、J・S・バッハ(1685~1750)。かの有名な「トッカータとフーガ」は、そんな若きバッハがブクステフーデの演奏に接した興奮も冷めないうちに書かれた…。かつては、世界中の大多数の人が「トッカータとフーガ」の作曲経緯をこのように信じてきました(たぶん)。
 
ところが、「トッカータとフーガ」には偽作説があります。このインパクトある冒頭部分はあらゆるクラシック作品の中でも「運命」と並ぶ超有名主題(それでも「聴いたことがない!」と言う方は、こちらをどうぞ。→ http://www.youtube.com/watch?v=aEeELyiLDKg )。これがなんと、実はバッハの作品ではなく、真の作曲者は不明であるという!
偽作説の根拠(Wikiより)
○バッハの自筆譜が現存せず、もっとも古い筆写譜が18世紀後半(Loree註:バッハの死後)のものであること。
○フーガの書法が異例であること。特に主題が単独で提示されるオルガンフーガ、および短調の変終止で終わるオルガン・フーガはバッハの全生涯を通じて他に例がないこと。
○いささか表面的な減7の和音の効果や技巧の誇示が認められること。
ロルフ・ディートリッヒ・クラウスは、この曲の作者をテューリンゲン地方のオルガニスト、ペーター・ケルナー(1705~1772)としている。なお、フーガ主題の前半はブクステフーデのオルガン作品≪前奏曲とフーガ・ニ短調BuxWV140≫(→ http://www.youtube.com/watch?v=hR5a9UkfqLg )に見られる。
但し、「偽作」と「確定」したわけでなく、バッハ研究の第一人者、小林義武氏はその著書「バッハとの対話-バッハ研究の最前線」(小学館、2002年)の中で資料学的見地から次のように指摘しています。
 
○この作品の最も古い資料はヨハネス・リンクによる筆写譜である。
○師弟関係から推察すると、この資料の原本はケルナーの筆写譜であった可能性が高い。
○リンクの筆写譜の書き方(調記号にフラットが欠けるドリア記譜法であること、また16分音符の符鈎の形)が古めかしく、リンクの世代の書き方ではない。
○これらのことから、リンクの原本は18世紀初頭に書かれた資料であって、リンクはそれを筆写する際に原本の通りに書き写したということが推察される。
○信憑性の問題はこの作品の場合にもそう簡単には解決されるものではなく、今後の研究を待たねばならないであろう。
 
というわけで、クラウス説とは異なる結論となっています。さらには、近年になってピーター・ウィリアムズが「この作品は本来、無伴奏ヴァイオリン用だったのではないか」という仮説を発表(上記の小林氏の著書でも言及されている)。こうなると、「トッカータとフーガ」はバッハの作品じゃない上にオルガン曲でもないということになり、いったい今までのバッハ像は何だったのかと言いたくなりますが、真相は未解明。この連休、実際に無伴奏ヴァイオリン用の「復元」を聴いてみて、想像の世界に遊ぶことも一興。
 
<曲名>
トッカータとフーガ イ短調(原曲:ニ短調)BWV565(バッハ)【無伴奏ヴァイオリン編曲版】
 
<演奏>
アンドルー・マンゼ(無伴奏ヴァイオリン)
 
判定はいかに。

肖像画のカノンBWV1076(バッハ)

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某・美人ブロ友さんの先日の記事(バッハの肖像画に描かれた楽譜の話)に関連して、ちょうど今、読んでいる「バッハ-伝承の謎を追う」(小林義武、春秋社、1995年)に“肖像画のカノンの意味”という話が出ていましたので紹介します。
 
<曲名>
6声の三重カノンBWV1076(バッハ)
 
これはバッハ(1685~1750)の最晩年(1746年)の肖像画です。バッハが右手に持っている楽譜に注目。この曲はバッハ自作のカノンです。ぼくはこれまで、このカノンはバッハがライプツィヒの「音楽学協会」への入会(1747年)に際して提出するために作曲され、肖像画もその目的で描かれたものと思っていました。日本中の大多数の人が同じ認識ではないでしょうか(たぶん)。
 
ところが、小林氏の研究によると、この肖像画に描かれたカノンは、なんと!自筆譜ではなく印刷譜であることが判明。これは何を意味するのか?このカノンは肖像画が描かれた1746年にはすでに作曲され、印刷もされていた…つまり、協会への入会のために作曲したのではないと推定されます。バッハは確かにこのカノンを協会に提出したけど、それは既存の作品だったのです。
 
これだけでも長年のバッハ・ファンには衝撃ですが、ここからが本題。このカノンの冒頭、中間声部の主題(G-A-C-H-A-G)はト長調ですが、なんと!平均律クラヴィア曲集第2巻第9番ホ長調のフーガの主題とほとんど同じなのです!
 
<曲名>
平均律クラヴィア曲集第2巻第9番ホ長調BWV878
フーガのみ http://www.youtube.com/watch?v=Mia9woisQZo (5分05秒)
 
演奏はグレン・グールド。冒頭から演奏姿を見ていると、グールドが途中で急に予想外の動きをするもんで、思わず「わっ!」と叫んでしまう箇所がありますから、忙しい現代人の方はとりあえずその辺りまでどうぞ(笑)
 
このフーガの主題(E-F#-A-G#-F#-E)。調性だけでなく音価も少し違うのですが、上のカノンと同じ主題に基づいていることは明らかです。つまり、バッハは平均律で一度使った主題を晩年のカノンでまた使っているのです。
 
ちなみに、グールドは平均律の中でもこの曲(BWV878)がよほど好きだったらしく、フーガでカウントすると(フーガだけの録音もあるので)、少なくとも5種類の録音があり、しかもまったく異なる2つの解釈を使い分けています。次の演奏はDVD≪グレン・グールド・バッハ・コレクション≫に含まれる映像です。
 
<曲名>
平均律クラヴィア曲集第2巻第9番ホ長調BWV878
フーガのみ http://www.youtube.com/watch?v=SaFIoePUvv8 (1分57秒)
 
グールドがチェンバロを弾いています。が、それはともかく、上と同じフーガの演奏時間が2分を切っている!どちらかと言うと、テンポとしては最初の動画のほうが一般的。しかし、テンポの問題もさることながら、なんという歯切れの良いフレージング!グレゴリオ聖歌風の主題がまるで舞曲のように弾む驚きと快感。グールドのアイディアのなんと豊富であることよ。
 
え~。話がそれました
 ここからが本題。
 
平均律(BWV878)のフーガで使われた主題は晩年のカノン(BWV1076)にも音価を変えて再び使われましたが、なんと!この主題はバッハの作ではなく、他の作曲家からの引用だったのです。
 
それは、ヨハン・カスパル・フェルディナント・フィッシャー(1670頃~1746)の「アリアドネ・ムジカ」という作品です。
 
<曲名>
アリアドネ・ムジカ(J・K・F・フィッシャー)
 
この作品の途中(1分03秒~)で現れる主題が、まさにバッハが引用したものです(この動画は楽譜付きなので分かりやすい)。小林氏によると、「このことは、これまでのバッハ研究においては、ほとんど顧みられることがなかった事実である」。しかも、バッハはBWV878ではフィッシャーの主題の音価を変更していましたが、BWV1076で引用した主題はより原型に近い形です。
 
バッハはなぜ、フィッシャーの主題を再び引用したのか?フィッシャーは1746年8月27日に亡くなっています。小林氏の仮説によると、例のカノンは高名な音楽家だった亡きフィッシャーを偲ぶため、一種の音楽的オマージュ(回想)として作曲されたのかも。このカノンでは「ゴールドベルク変奏曲」の低音主題も同時に使われていますが、「フィッシャーからの引用と、自分自身の作品であるゴールドベルク変奏曲の低音主題を組み合わせていることは、バッハのフィッシャーに対する個人的な評価と連帯感の表れのように思われる。」(小林氏)
 
さらに、このカノンが肖像画の中に使われたのは、「見識の高い音楽家という性格をそれによって象徴的に強調しようという意図もあったのだろう。」(小林氏)
 
う~ん…凄すぎる。ぼくは中学の卒業文集に将来の夢を「バッハ研究家」と書きましたが、とんでもなかった(汗)本物の研究者の、なんと凄いことよ。小林氏は昔から伝わる印刷譜はもちろん、自筆譜や様々な筆写譜の筆跡鑑定等による資料研究の専門家。この本はバッハ・ファンなら目次を見ただけでワクワクすること請け合い。オススメの1冊です。
 
(参考文献)
小林義武「バッハ-伝承の謎を追う」(春秋社、1995年)
1 バッハ研究の現状
・研究の二大領域
・資料学的方法
・文献学的方法
・分析的方法
2 演奏習慣の諸問題
・忘れられた演奏習慣
・記譜法の問題
・楽器特定の難しさ
・器楽および声楽編成の問題
・合唱団の構成
・奏法の問題
3 「バッハ復活」の背景-ロマン派のゴシック的バッハ像をめぐって
・ロマン派以前のゴシック受容
・ロマン派のバッハ受容
・『マタイ』蘇演の放った光
4 バッハをめぐる偽作の問題
・七百曲にのぼる真偽不明の作品
・なぜ偽作が生まれるのか
・疑わしい作品の実例
・真偽判定の方法
5 『フーガの技法』の謎
・『フーガの技法』をめぐる五つの謎
・いつ作曲されたのか
・楽器編成をめぐる論争
・初版印刷譜の楽曲配列の欠陥
・四重フーガは未完か否か
・初版譜の校訂者は誰か
6 晩年のバッハとその作品-バッハ像修正の試み
・変貌するバッハ像
・作品に対する意識の変化
・演奏実践における晩年の特徴
7 『ロ短調ミサ曲』のバロック的普遍主義
・後世への音楽的遺産として
・最終楽章におけるパロディーの意味
・あくまでも上演を望んだバッハ

まるでオペラ? オーボエ協奏曲(ベルリーニ)

オーボエ協奏曲の世界へようこそ!
 
あるとき、クラシックに少し興味があるという女性と話していたら、「オーボエ協奏曲なんてあるんですか!」と驚かれたことがありました。う~ん…確かにピアノとかヴァイオリンほどメジャーじゃないかも
 
というわけで、後日、Loreeセレクションの特製CD≪ザ・ベスト・オブ・オーボエ協奏曲≫をダビングして差し上げたのですが、「オーボエ協奏曲なんて聴いたことない!」という方に、最初の1曲としてオススメしたいのは、ベルリーニのオーボエ協奏曲です。
歌劇の作曲家として知られる
ベルリーニは1801年
イタリア シチリア島の
カターニアに生まれた
イタリア半島の突端
美しい地中海に浮かぶシチリア島
カターニアはシチリアの東の玄関口で
今でも煙をあげ
時には噴火するエトナ火山を
遠くに望む美しい町
オベリスクを背にのせた象は
この町のシンボルで
オリエント風な雰囲気を感じさせる
 
彼も幼いころから歌曲を作曲するなど
その才能を発揮した
ベルリーニ(1801~1835)の生家は
記念館として残され
ゆかりの品が展示されている
学生時代ナポリの名家の娘に恋したが
娘の父親の反対でこの恋は破れた
 
失意のベルリーニは
これ以後 歌劇の作曲に没頭した
作曲家ドニゼッティとの友情も
歌劇への道をより強いものにした
彼は33歳の若さで亡くなるまで
「ノルマ」「清教徒」など10の歌劇を発表
ロマン派歌劇の先駆者として
音楽史にその名を記している
この曲は1823年ナポリ音楽院で
勉強中に書かれたもので
彼の唯一の協奏曲である
(「名曲アルバム」より)
ベルリーニ(ベッリーニとも表記)と言えば、イタリア・オペラです。最も有名なのは歌劇「ノルマ」の「清らかな女神(カスタ・ディーヴァ)」。忙しい現代人の方は、とりあえず冒頭の30秒くらい聴いてみてください。
 
<曲名>
歌劇「ノルマ」~清らかな女神(ベルリーニ)
○マリア・カラス
http://www.youtube.com/watch?v=MBW5a77wINQ (5分44秒)
○フィリッパ・ジョルダーノ
http://www.youtube.com/watch?v=qMwQk44cujM (5分12秒)
 
では、今日の本題。
 
<曲名>
オーボエ協奏曲変ホ長調(ベルリーニ)
 
<演奏>
クリストフ・ハルトマン(オーボエ)、アンサンブル・ベルリン
http://www.youtube.com/watch?v=-tJ3sJfXef4 (7分15秒)
 
作品は単一楽章。短い序奏につづいてラルゲット・カンタービレ(0分19秒~)アレグロ(3分26秒~)という構成です。白眉はラルゲット・カンタービレ!もう、「ラルゲット・カンタービレ」という名前だけで名曲の予感がするではありませんか。学生時代のベルリーニが書いたという若書きの協奏曲ですが、先ほどの「清らかな女神」を思い出していただきたい。息の長いカンタービレ。将来のオペラ作曲家としての資質はこの時点でもう全開です。オーボエの背後からプリマドンナの歌が聴こえてくる。これは「オペラ風」というより、オペラそのものだ!!
 
後半は、コロラトゥーラっぽい軽快なアレグロ。でも途中、短調に転じるところが切ない。ナポリの彼女を思い出してしまったのだろうか。(←無責任な想像)
 
全曲を通じて約7分。美しい、楽しい、短い。オーボエの魅力を満喫できる1曲です。
 
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(Loree愛聴盤)
ハンスイェルク・シェレンベルガー(オーボエ)
ジェイムズ・レヴァイン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団【1989年録音、DG】

マドリガル(シモネッティ)

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<曲名>
マドリガル(シモネッティ)
 
<演奏>
イヴォンヌ・キュルティ(ヴァイオリン)、G.van.パリス(ピアノ)【Columbia 5290(マトリクスWL2549)】
[裏面の「チャルダッシュ」と合わせて、ポンちゃんさんの記事でお聴きいただけます]
 
魅惑のパリジェンヌ(たぶん)、イヴォンヌ・キュルティ。チャーミングなヴィブラートとポルタメント、彼女の個性はフォーレの「子守歌」(前回紹介)で全開です。そして「マドリガル」も実にいい。この絶妙なルバートがあらかじめ設計された表現とは思えない、天性の音楽センスを感じます。
 
キュルティとはいったい何者なのか?彼女のレコードで伴奏を務めたピアニストは次の5人です。寡聞にして一人も知りません。
 
<キュルティの伴奏者>
ゴドフロイ・アンドルフィ Patheの全録音
モーリス・フォーレ 5曲
G.van.パリス 4曲
J.ベンヴェヌティ 4曲
リュシアン・プティジャン 2曲
 
しかし、このピアニストたちが共演している他のヴァイオリニストを調べてみると、錚々たる顔ぶれです。
 
<キュルティと共演した伴奏者と共演したヴァイオリニスト>(生年順)
○ウィリアム・カントレイユ(1888~?) G.アンドルフィと共演歴あり
○アンリ・メルケル(1897~1969) G.アンドルフィ指揮パリ音楽院管弦楽団と共演歴あり
○ガブリエル・ブイヨン(1898~1984) M.フォーレと共演歴あり
○ルネ・ベネデッティ(1901~1975) M.フォーレ、J.ベンヴェヌティと共演歴あり
○ローラン・シャルミー(1908~1959) L.プティジャンと共演歴あり
○ジャン・シャンペイユ(1910~?) L.プティジャンと共演歴あり
○リュシアン・シュヴァルツ(?~?) L.プティジャンと共演歴あり
 
というわけで、パリ音楽院の教授やパリの主要楽団のコンサートマスターがズラリ。全員、パリ音楽院の出身です。キュルティはなぜこんなパリの実力者たちと組むようなピアニストと共演できたのでしょうか。このように外堀を埋めてみると、キュルティ自身もやはりパリ音楽院の関係者と考えるのが自然と思えます。
 
また、1920年代後半のものと推定されるキュルティの写真(前回記事参照)は推定20~30歳くらい。逆算すると1900年前後の生まれでしょうか。ということは、前述のヴァイオリニストたちとまさに同世代。1920年頃のパリ音楽院の卒業生名簿を調べたら、名前が見つかるでしょうか。あるいは、最近まで存命だったブーシュリ教授(1877~1962)の未亡人ドゥニーズ・ソリアーノ(1916~2006)であれば、彼女の消息を何かしら知っていたでしょうか。こんなに聴き手(ぼく)を魅了するヴァイオリニストなのに、判らないことだらけとはもどかしい。(←調べろよ。)
 
キュルティの追跡は、ぼくのライフワークなのです。(←SP買えよ。)

子守歌(フォーレ)

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イヴォンヌ・キュルティ。
 
フランスの女性ヴァイオリニスト。生没年不詳、経歴不詳。1920~30年代にかけて数十枚のSPレコードを残す。3~4分程度の小品ばかりで、クラシックのほか当時最新のオペレッタやミュージカルのヒットナンバーも数多く含まれる。現在、ほとんど無名。
 
しかし、キュルティこそ、ぼくの憧れの人なのです。
 
<曲名>
子守歌(フォーレ)
 
<演奏>
イヴォンヌ・キュルティ(ヴァイオリン)、ゴドフロイ・アンドルフィ(ピアノ)
https://www.youtube.com/watch?v=FZOrAgbfoSQ (2分59秒)
セクシーで頭が切れて、でも可愛くて…そんな女性を魅力的と思わぬ男はいないであろう、まさにそんなイメージの演奏である。(上杉春雄)
この上杉春雄さんのキュルティ評はモンティの「チャルダッシュ」について書かれたものですが、モンティよりもフォーレにこそ、この言葉を贈りたい。ハートをくすぐるヴィブラートと、幸せがあふれてこぼれ落ちるようなポルタメント。決して、フェロモンまき散らす濃厚な官能美ではない。センス良くオシャレな着こなしで颯爽と街を歩く女性が、すれ違いざまに上品な香りをふわっと漂わせてくると、素敵な人だなぁ…とドキっとする。10代の頃、年齢差以上に大人に見えて手が届かなかった20代の女性のような。そんなトキメキのヴァイオリン。
 
惚れても知りませんよ。
 
最終更新日:2016年1月1日

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