2011/08/27
アダージェット(マーラー)
「CD整理法」、第6回は交響曲(ベートーヴェン以外)です。
【その他の交響曲】の内訳
(1)独墺系 ハイドン、モーツァルト、メンデルスゾーン、シューマン、ブラームス
(2)ロシア系 チャイコフスキー、カリンニコフ、ハチャトゥリヤン
(3)その他 ベルリオーズ(幻想交響曲)、ドヴォルザーク、シベリウス
(以上、各カテゴリー内で作曲者の生年順)
聴く曲はだいたい決まっています。10枚以上あるのは、モーツァルトの「ハフナー」と39番と40番、メンデルスゾーンの「スコットランド」、ブラ1、チャイコの5番と「悲愴」、ドヴォルザークの「新世界」だけです。
でも、趣味と枚数は比例しません。世評に関係なく「手放したくない」と心から思っている演奏を列挙してみると、モントゥー/北ドイツ放送の39番、ワルター/ニューヨークの39番とブラ2、バルビローリ/ハレ管のドボ7、カイルベルト/バンベルクの来日公演のブラ4、フリッチャイ/ベルリン放送の「悲愴」、ペーター・マークの「スコットランド」(4種類)、サラステ/フィンランド放送のシベ6、準・メルクル/N響の「スコットランド」、等々(以上、指揮者の生年順)。
このほか、独墺系ではプフィッツナーの作品46、ロシア系ではアレクサンドル・タニェエフの4番(同じく4番が有名なセルゲイ・タニェエフの叔父)とグレチャニノフの1番もぼく好み。橋本國彦の1番も名曲と主張することを躊躇しませんが、NAXOSの日本人作曲家シリーズは「管弦楽曲」にまとめて扱っています。ちなみに、ブルックナーとマーラーは各10枚くらい。ショスタコも1枚あります。(←小声で)
<曲名>
交響曲第5番~アダージェット(マーラー)
オーケストラでも、ピアノでも、演奏の現場では「作曲家の意図」に思いを巡らすことがあると思います。それは根拠の希薄な妄想に過ぎない人もいるかもしれませんが、使用楽器や奏法を吟味してその作品が生まれた時代(ピリオド)の演奏の再現を目指す人もいます。そのようなピリオドスタイルによる演奏はバッハやモーツァルトだけでなく、ベートーヴェンの作品でもすでに珍しいものではなくなっていますが、実際、作曲者本人が自作をどのように演奏したのか、真実は歴史の闇の中です。
しかし、20世紀に入ると多くの作曲家が自作自演の録音を残しています。例えば、ラフマニノフやガーシュウィン、クライスラーの録音は特によく知られていて、彼らが自作をどのように演奏したのか、録音が伝えています。これらはまさに「作品が生まれた時代の演奏」そのものですが、不思議なことに、ベートーヴェンについて「作曲家の意図」を考えてみる人はいても、ラフマニノフのピアノ協奏曲をラフマニノフ自身が弾いたように弾く人はほとんどいません。
指揮者としても高名だったマーラーは自作の交響曲をどのように演奏したのでしょうか。マーラーの自作自演はロールピアノ(自動ピアノ)の記録が4曲残っているだけで、オーケストラを指揮した録音はありません。しかし、マーラーと親交があった指揮者の録音があります。
<演奏>
ウィレム・メンゲルベルク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団【1926年録音】
マーラーは自作の4番の指揮を「君(メンゲルベルク)のほうがうまい」と評したそうで、また、5番はメンゲルベルクに献呈されています。つまり、メンゲルベルクのマーラーは「作品が生まれた時代」という意味においてピリオドそのものです。ベートーヴェンをピリオドスタイルで演奏する指揮者は、なぜ、マーラーをメンゲルベルクのように演奏しないのか?
というわけで、メンゲルベルクの解釈の再現を試みた現代人による演奏。メンゲルベルクの書き込みがあるスコアを使用し、当時と同じくガット弦を張って演奏しているらしい。
<演奏>
ケネス・スロウィック指揮スミソニアン・チェンバー・プレイヤーズ【1995年録音】