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あの超有名主題による変奏曲 その3

大好評(?)の「超有名主題による変奏曲」、第3弾。
 
<曲名>
アメリカの思い出(ヴュータン)
http://www.youtube.com/watch?v=BLiLdFqhodo (5分00秒)
 
今回はヴァイオリン編です。アンリ・ヴュータン(1820~1881)がシャルル=オーギュスト・ド・ベリオの教え子で、そしてイザイの師匠であるということは、全国3万5千人の≪酒・女・歌≫常連の皆様におかれましてはご存知の通りです。
 
19世紀のヴィルトゥオーゾがどんな存在だったか、ピアノのフランツ・リストの風刺画がすごい。
 
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(1841~42年頃、リストが30~31歳頃のコンサートの様子)
 
ヴュータンもまた、コンサートでは自作のヴィルトゥオーゾ・ピースを披露し、聴衆を熱狂させたことでしょう。「アメリカの思い出」は1843年(リストの風刺画とほぼ同時期)、若きヴュータンがアメリカ演奏旅行に際して用意した「アメリカへの挨拶」とも言うべき1曲です。(※1)
 
まさか、ヴュータンがこの曲をコンサートの前半に弾いたはずがない。予定していたプログラムが終わり、場内の興奮が最高潮に達したとき、拍手やざわめきにも構わずヴュータンは再び楽器を構え、険しい表情で、しかも無言で何かを弾き始める。まるでパガニーニの「わが心はうつろになりて」のような、人の心を不安にさせる序奏。いったい何を弾くのか…?場内が静まりかえる。そして序奏の後に現れた主題は…!聴衆は思わず隣同士で顔を見合わせ、次の瞬間には一同やんやの大喝采!(※2)
 
ヴィルトゥオーゾはエンターテイナー。
 
※1 本当です
※2 妄想です
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あの超有名主題による変奏曲 その2

<曲名>
主題と変奏(クラーマー)
http://www.youtube.com/watch?v=N70RgwQWf_Q (11分01秒)
1812年にロンドンのチャペル社から刊行されたこの変奏曲は前奏のあと、主題<エア>が合計10曲の変奏曲を生み出している。こうした主題と変奏曲は、マンハイムに生まれ、父親に著名なヴァイオリン奏者を持つドイツ系のピアニスト兼作曲家として知られたクラーマーが得意中の得意としていたジャンルであった。この作曲は数多くの印刷譜が出版されて、当時、大いに流行し、しかもフランスでももてはやされたことが推測されるが、さらに主題に使われた旋律が思わぬ反響を呼んだことも特筆に値する。(海老澤 敏)
冒頭から長~い序奏があり、ま~だ~か~よ~と思っている頃に突如として現れるその主題。これがまさに、日本人なら知らない人はいない、あの超有名主題なのです!
 
この超有名主題の出典がフランスの思想家ジャン=ジャック・ルソー(1712~1778)が作曲した歌劇「村の占い師」(※1)であるという説は、様々なところで紹介されています。海老澤先生による、この旋律のルーツと伝播に関する研究も有名です(※2)
 
でも、まさに「ルソーの夢」という副題をもつクラーマーの「主題と変奏」というピアノ曲を実際に聴く機会はあまりないでしょう。そもそも、クラーマーという人があまり知られていませんが、実はこの人は、某美人ブロ友さんも愛奏しているピアノの練習曲集≪クラーマー=ビューロー≫のヨハン・バプティスト・クラーマー(1771~1858)なのです。(クラーマーの練習曲をハンス・フォン・ビューローが改訂版したものが≪クラーマー=ビューロー≫)
 
重要なことは、この超有名主題はルソーの歌劇「村の占い師」には現れず、そこで聴かれるのはあくまで「原型」であって、私たちがよく知っているあの超有名主題はクラーマーの「主題と変奏」で初めて登場する、ということなのです。
 
さて、その超有名主題とは何でしょう?
 
※1 歌劇「村の占い師」~パントマイム https://www.youtube.com/watch?v=oQt8FLXINHo
※2 海老澤先生の研究の要約 http://rousseau.web.fc2.com/jmusique/musunde.htm

キラキラ星変奏曲

新シリーズ「超有名主題による変奏曲」第1弾。
 
「キラキラ星変奏曲」と言えばモーツァルト(→ http://www.youtube.com/watch?v=SRMAGOHnzhs )。「キラキラ星」というのは後世の替え歌で、モーツァルトが使った主題は「ああ、ママに言うわ」という18世紀のフランス民謡です。では、「ああ、ママに言うわ」の歌詞をご存知でしょうか。
 
<歌詞対訳>(※)
Ah! vous dirai-je Maman, (ああ、私 ママに言うわ)
Ce qui cause mon tourment. (私の悩みの理由を)
Depuis que j'ai vu Sylvandre (シルヴァンドルに出会ってから)
Me regarder d'un œil tendre, (彼は優しい目で私を見るの)
Mon cœur dit à chaque instant, (そのたびに私の心は言うの)
Peut-on vivre sans amant? (人は恋人なしに生きられるものなのかと)
歌詞対訳の出典及び歌詞のつづきはこちら。→ http://www.geocities.jp/lune_monogatari/twinkle.html
 
というわけで、女の子が恋心をお母さんに打ち明ける歌です。
 
<曲名>
歌劇「闘牛士」~「ああ、ママに言うわ」の主題による変奏曲(アダン)
 
モーツァルトではなく、アドルフ・アダン(1803~1856)の「キラキラ星変奏曲」。アダンと言えば「ジゼル」。「ジゼル」と言えばバレエ界では知らない人のいない超人気演目です、間違いない!
 
アダンはオペラも多数作曲していて、「闘牛士」もその一つです。ぼくはこのオペラを見たことがありませんが、スペイン情緒は皆無、ストーリーも闘牛とは無関係で、すでに引退した闘牛士とその妻コラリーヌ、そしてコラリーヌの恋人であるフルート吹きの男の三角関係の喜劇だそうです。そんな不倫オペラの中に恋心を打ち明ける歌を変奏曲仕立てで挿入するセンスが素晴らしい。
 
<演奏>
ビヴァリー・シルズ(ソプラノ)
http://www.youtube.com/watch?v=eT5pw8E5IYE (7分27秒)
 
このライヴ動画は「闘牛士」ではなく、どうやらモーツァルトのオペラの途中で余興として歌っているようです。もともとはオーケストラ伴奏の曲ですが、このステージではチェンバロとフルート(と、なぜかトライアングル)で伴奏しています。余興ですから、チェンバロのミスタッチはご愛嬌。
 
オペラに疎いぼくは名歌手ビヴァリー・シルズを初めて聴きました。芯があるけど愛すべき声、表情もしぐさもチャーミング、も~!魅惑のビヴァリー
 主題につづいて変奏が始まると(1分28秒~)、ビヴァリーの見事なコロラトゥーラ(と、表情としぐさ)に耳(と目)がクギ付け。こらっ、そこの男!手を握るんじゃないっ!(2分05秒~)
 
フルートのオブリガード(2分35秒~)はアダンの原曲通りで、これがなくてはアダンとは言えません。そして伴奏が休止し、ソプラノとフルートの完全なデュエットとなる「ランメルモールのルチア」ばりのカデンツァ(4分18秒~)は圧巻!でも、「狂乱」とはもちろん無縁。いつの間にかみんなが笑顔になっている、幸せいっぱいのコロラトゥーラ版「キラキラ星変奏曲」なのです♪
 
さあ、一緒に歌おう!(てゆーか無理)

まるで鉄腕アトム? ヴァイオリン協奏曲第8番(ベリオ)

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「空耳アワー」第3弾。ぼくは何を目指しているのでしょうか(汗)
 
<曲名>
ヴァイオリン協奏曲第8番ニ長調~第1楽章(ベリオ)
 
ベリオはベリオでも、電子音楽で有名な(?)現代音楽のルチアーノ・ベリオ(1925~2003)ではなく、19世紀ベルギーのヴァイオリニスト兼作曲家のシャルル=オーギュスト・ド・ベリオ(1802~1870)です。両者を区別するため(?)、ヴァイオリンのベリオのことを「ド・ベリオ」と書くことがありますが、以後、この記事ではヴァイオリンのベリオを「ベリオ」と書きます。
 
ベリオの名前はよほどのヘビーリスナーにもほとんど知られていないと思いますが、ヴァイオリンを弾く人なら知らない人はいません、間違いない!特に「バレエの情景」とヴァイオリン協奏曲第9番イ短調は定番中の定番、今や小学生が弾く「レッスン名曲」ですが、ベリオ自身は「ポスト・パガニーニ」世代のヴィルトゥオーゾで、おそらくこれらの作品も彼自身がステージで弾き、19世紀の聴衆から喝采を浴びたことでしょう。また、彼はヴュータンを教え、ヴュータンの弟子にはイザイがいます。つまり、フランコ・ベルギー楽派のルーツとも言うべき存在なのです。
 
そのベリオの第8番がスゴイ。「空耳アワー」「鉄腕アトム」と言うと、ほとんどの人はシューベルトのピアノ・ソナタ第21番(→ http://www.youtube.com/watch?v=ZbJtHzaFpBQ )の第1楽章の第2主題を連想すると思いますが(?)、ベリオの激似ぶりはシューベルトの比ではありません!ここまでソックリだと、「偶然」と言い切る自信がありません(汗)
 
<演奏>
西崎崇子(violin)、アルフレート・ヴァルター指揮ブリュッセル放送管弦楽団【1986年録音、NAXOS】
http://ml.naxos.jp/album/8.555104http://www.youtube.com/watch?v=NcMWG99JSz8 (10分59秒)
 
判定はいかに。

まるでドラクエ? ヴィオラ協奏曲(テレマン)

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「空耳アワー」第2弾。(第1弾はクーセヴィッキーと山口百恵)
 
<曲名>
ヴィオラ協奏曲ト長調(テレマン)
 
よく晴れた休日の午後はテレマン。これもバロック少年だった頃にFMで聴いて好きになった曲ですが、その後間もなくエアチェックしたカセットテープを誤って消去してしまった痛恨の1曲なのです。FMで聴いた演奏はクルト・レーデル指揮ミュンヘン・プロ・アルテだったと記憶していますが、今となっては確かめるすべがありません。
 
<演奏>
パウル・ドクトール(ヴィオラ)
フランス・ブリュッヘン指揮コンチェルト・アムステルダム【1967~68年録音、TELDEC】
 
このCDにはヴィオラ独奏者名の記載がないので、旧規格CDのデータから補完しました。それよりも、これがブリュッヘンの指揮とは信じられない。1960年代のブリュッヘンはモダン奏者とも共演していましたが、それにしてもこれが本当にのちに18世紀オーケストラを結成する人の演奏なのか。CD化の際に原盤を取り違えた可能性はないのか(←無知を棚に上げるLoree)。これこそ、クルト・レーデルと言われたら信じます。この演奏のLPをお持ちの方がいらっしゃいましたら、ぜひご教示いただきたいです。もれなくLoreeサイン入り色紙を進呈します。
 
ところで、このヴィオラ協奏曲の第2楽章とドラクエの「王宮のロンド」(→ http://www.youtube.com/watch?v=WGr1_2Bj_wc )には激似説がありますが…判定はいかに。

水上の音楽(テレマン)

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 「バロック音楽など、通奏低音といって最上声部と最低声部しかない、内容のうすい貧弱な音楽です。せっかくショパンなどの充実した立派な音楽があるのに、どうしてこんな空虚な音楽を聞かせようというのですか。」(ある批評家が皆川達夫先生に言い放った言葉)※1
 
 ぼくの答えは、こうです。「嫌いなモノには理由があるが、好きなモノには理由がない。」 ※2
 
<曲名>
 組曲「ハンブルクの潮の満干」(テレマン)
 
 通称、テレマンの「水上の音楽」。ぼくがこの曲を初めて聴いたのは中学1年(1987年)の年末近いある休日にFMで放送されたムジカ・アンティカ・ケルンの演奏でした。一目惚れならぬ一耳惚れ、これから家族で外出しようというのに「あと5分!」とか言いながらラジカセの前を離れず、無事に最後までエアチェックしたのでありました。
 
 その数年後、都内の親戚邸でもはや誰にも聴かれず眠っていた数百枚のLPの中にヴェンツィンガー盤を発見。1980年代のARCHIVのムジカ・アンティカ・ケルンがキレ味鋭く、イキのいいテレマンであるのに対し、同じARCHIVの1960年代のヴェンツィンガーは暖かく、大人の余裕と品格があるテレマンでした。
 
 「このレコードを聞きながら食事をし、ついでにモーゼルの白葡萄酒の栓でもあけると、「この世は天国」という気分になってしまうから、不思議なことです。」(皆川達夫)※3
 
<演奏>
 アウグスト・ヴェンツィンガー指揮バーゼル・スコラ・カントールム【1961年録音、ARCHIV】
 
○第1楽章(序曲)
○第2楽章「眠るテーティス」
○第3楽章「目覚めるテーティス」
○第4楽章「恋におちたネプトゥーン」
○第5楽章「踊る泉の精たち」
○第6楽章「ふざけ廻るトリートン」
○第7楽章「吹きふさぶ嵐」
○第8楽章「快い西風」
○第9楽章「潮の満干」
○第10楽章「愉快な舟人たち」
 
 その親戚夫婦も80代となり、年内には住み慣れた家を処分し、田舎で暮らす息子夫婦のところに移り住むことになったと聞いたのは、つい先週の話。あのレコードたちはどうなるんだろう。条件反射のようにヴェンツィンガー盤を思い出した。
 
 
※1 皆川達夫「龍翁炉辺談話」その8(→ http://www.yk.rim.or.jp/~guessac/ryuou_08.html
※2 ブロ友・Clarkさんのチャイコフスキー・ヴァイオリン協奏曲評
※3 皆川達夫「バロック名曲名盤100」(音楽之友社)

フリードリヒ・グルダ、クラビノーバでモーツァルトを弾く。

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記憶は、遡れば遡るほど少なくおぼろげになる。ぼくの幼児時代の記憶の半分くらいは国立小児病院のことかもしれない。生まれたときから右腕が麻痺していたぼくは、7年間リハビリをしていた。幼稚園のときまで週3回、母に連れられて、緑の車体の都バスに乗って、国立小児病院に通っていた。いつの頃からか、週1回になった。
 
リハビリをしてくれた佐野先生は怖い人だった。当時のぼくにはおじいさんくらいの年齢に思えたけど、実際はどうか分からない。ぼくがぐずると佐野先生が診てくれないので、母は仕方なく、四角い紙パックのコーヒー牛乳をよく買ってくれた。でも、たまに笑いながらぼくの名前(本名)をもじったダジャレを言ったりして、ご機嫌なときもあった。そんな気難しい佐野先生のことを、たぶん、母は快く思っていなかった。
 
ある日、病院を出ようとしているとき、ちょうど近くにあった階段を、上の階から一人の老人が杖をつき、あらぬ方向を見ながら手すりにつかまって弱々しく降りてきた。「あっ、佐野先生…」と思わず小さく声に出したら、母はぼくの手を引いてその場から離れた。何歳のときだったのか、そのとき何を思ったのか、まだ幼かったから覚えてないけど、リハビリ室の佐野先生とのあまりのギャップは忘れようもない。
 
<曲名>
ピアノ・ソナタ第11番イ長調K331(モーツァルト)
~第1楽章(主題と変奏)
 
<演奏>
フリードリヒ・グルダ(クラビノーバ)【1999年録音、amadeo】
http://www.hmv.co.jp/product/detail/1072411
 
グルダがクラビノーバでモーツァルトを弾いている。これが最晩年の演奏ということは結果の問題であり、グルダ自身、翌年この世を去るつもりで弾いたとは考えられない。だからぼくがこの演奏に「過ぎ去りし日の回想」を感じるのはきっと勘違いだけど、グルダにとってモーツァルトは幼なじみのような存在で、愛情というより友情を感じていたんじゃないか。そんなことを思ってみたりする。
 
クラビノーバを使ったことにも意味がある。主題提示の終わり頃から徐々に付加されるエレクトリックな効果を煩わしく、遊びの度が過ぎていると感じる人もいるかもしれない。でも、グルダはこの原曲の背後に感じていた音を、実際の音にしてみたかったのだ。子ども時代の色褪せた写真に採色したような、これはグルダにとって特別なモーツァルトだったと信じる。
 
国立小児病院に通っていたのは、ぼくの記憶では、小学1年生の冬が最後。新宿の高層ビルにあった中華料理店で、両親がお祝い(?)をしてくれた。あれから30年、国立小児病院には一度も行ってない。いつかもう一度、佐野先生が降りてきた階段を見たいと思っていた。なぜ見たいのか、自分でも理由が分からないし、病院内のどの階段なのか、探し当てることはほとんど不可能。誰も証明できない。でも、もう一度見たい。
 
…この週末、行ってみよう。そう思って調べてみたら、こう書かれていた。
 
「国立小児病院は、2002年まで存在した日本の国立病院である。」

ピーターと狼(プロコフィエフ)/明石家さんま

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今日は「子どもの日」。妻と娘は二人で4泊5日の旅行中で、ぼくは留守番です
 
<曲名>
ピーターと狼(プロコフィエフ)
 
ぼくの両親は音楽好きですが、子ども(ぼく)に聴かせる意識はなかったようで、いわゆる「子ども向け」のクラシックを聴いた記憶がありません。「ピーターと狼」を初めて聴いたのは大人になってからです。ぼくにとって「ピーターと狼」の主役はピーターでも狼でもなく、小鳥でもあひるでもなく、何と言ってもナレーターです!だから、日本語版でなければならぬ。(←英検4級)
 
<演奏>
明石家さんま(ナレーション)
ズービン・メータ指揮イスラエル・フィル【1982年&1990年(※)録音、東芝EMI】
http://www.amazon.co.jp/dp/B00005GJQB(各トラックの冒頭45秒間を試聴できます)
 
関西弁の「ピーターと狼」。さんまのナレーションはアドリブだらけで、例えばアヒルの話がいつの間にか厚かましいおばさんの話になって、「知り合いのおばさんが痩せるために乗馬を始めたら馬が痩せてしもうた」(トラック4)みたいな話の脱線が当盤最大の聴きどころです。こうでなくてはさんまを起用した意味がない。IMALUちゃん(当時1歳)もこれを聴いたのでしょうか(汗)子ども向けの企画なのに、子どもに聴かせるのはなぜかちょっと躊躇する、大人向けの(?)名盤(?)なのです
 
<構成>
1)はじめに
2)ピーター、牧場に出ていく
3)小鳥とピーターは仲良し
4)あひるも牧場に出ていく
5)小鳥とあひるのふざけっこ
6)しのびよる猫
7)逃げる小鳥、どなるあひる
8)おじいさんの登場
9)やんちゃなピーター
10)ピーター、連れ戻される
11)狼、あらわる
12)木の上に逃げる猫
13)池から逃げだすあひる
14)狼、あひるを飲みこむ
15)ふるえる猫、そして小鳥
16)木のまわりで狙う狼
17)ピーターの活躍がはじまる
18)飛びまわる小鳥
19)飛びつこうとする狼
20)ワナをしかけるピーター
21)狼、ワナにかかる
22)狩人たちの到着
23)狼を狩人にひきわたす
24)パレードがはじまる
25)おじいさんはブツブツ
26)得意な小鳥とピーター
27)狼のおなかの中から…
 
<日本語版ディスコグラフィ>(ナレーターのあいうえお順)
■明石家さんま(ズービン・メータ指揮イスラエル・フィル)
■芥川比呂志(ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団)
■芥川比呂志(ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー指揮ソヴィエト国立交響楽団)
■麻生かほ里(佐川聖二指揮創価グロリア吹奏楽団)
■池田秀一(ピーター)&中野慶子(小鳥)&楠トシエ(あひる)&友竹正則(猫)&熊倉一雄(おじいさん)&小池朝雄(狼)&トニー谷(狩人)(山田和男指揮日本フィル)
■池畑慎之介&小倉智昭(ジェイムズ・レヴァイン指揮聖ルカ管弦楽団)
■いしだ壱成(ケント・ナガノ指揮リヨン歌劇場管弦楽団)
■大空真弓(レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィル)
■岡崎友紀(エフレム・クルツ指揮フィルハーモニア管弦楽団)
■小倉久寛【調査中】
■小澤征爾(小澤征爾指揮ボストン交響楽団)
■落合恵子(日本音楽集団)
■樫山文枝(ベルナルト・ハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団)
■樫山文枝(ジョン・ウィリアムズ指揮ボストン・ポップス)
■ガチャピン&ムック(レオポルド・ハーガー指揮ルクセンブルク放送交響楽団)
■加藤道子(山田和男指揮室内管弦楽団)
■加藤優子(堀江真理子&ジェローム・デュクロ,ピアノ)
■喜多道枝(石丸寛指揮新日本フィル)
■熊倉一雄【調査中】
■栗原小巻(イーゴリ・マルケヴィチ指揮パリ管弦楽団)
■栗原小巻(ピーター&小鳥&あひる&猫)、千田是也(おじいさん)、俳優座(狩人たち)(大友直人指揮日本フィル)
■黒沢良(ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団?)【調査中】
■黒沢良(渡辺暁雄指揮日本フィル)
■黒柳徹子(ロリン・マゼール指揮フランス国立管弦楽団)
■古今亭志ん輔(レオポルド・ハーガー指揮ルクセンブルク放送交響楽団)
■古今亭志ん朝(山本直純指揮日本フィル)
■堺正章(レオポルド・ストコフスキー指揮ニューヨーク・スタジアム交響楽団)
■坂本九(ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮フィルハーモニア管弦楽団)
■島田陽子(福村芳一指揮京都市交響楽団)
■ジョン・カビラ(シーザー・アンサンブル)
■すぎやまこういち(十束尚宏指揮N響弦楽合奏団&ファミリー・クラシック・オーケストラ)
■鈴木真仁(ベルナルト・ハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団)
■高嶋政伸(ミシェル・プラッソン指揮トゥールーズ・カピトール国立管弦楽団)
■高橋圭三【調査中】
■千々松幸子(福本信太郎指揮相模原市民吹奏楽団)
■ちびまる子(カレル・アンチェル指揮チェコ・フィル)
■中村メイコ(フリッツ・レーマン指揮ベルリン・フィル)
■中山千夏&子どもたち(ズデニェク・コシュラー指揮東京都交響楽団)
■西田敏行(レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィル)
■坂東玉三郎(クラウディオ・アバド指揮ヨーロッパ室内管弦楽団)
■平野美保(ヒラキ・シンセティック・オーケストラ)
■真理ヨシコ(森正指揮NHK交響楽団)
■矢田稔(レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィル)
■吉永小百合【調査中】
■米倉斉加年(秋山和慶指揮東京交響楽団)
■渡辺直子(秋山和慶指揮フィルハーモニア交響楽団)
■渡辺直子(若杉弘指揮読売日本交響楽団)
 
<映像商品の日本語吹き替え版>
■ディズニー・アニメ【調査中】
■ロイヤル・バレエ・スクール(ポール・マーフィー指揮コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団)
■ロイヤル・バレエ・スクール(ポール・マーフィー指揮ロイヤル・シンフォニア)
 
ぼくが聴いたのはほんの一部です。黒柳徹子は美しい日本語なので、ゆうちゃんが2~3歳の頃に聴かせましたが興味なし

興味をそそるのは、池田秀一(シャア・アズナブル)をはじめ豪華声優陣7名による劇団バージョン。もし、ぼくがプロデューサーとしてこの曲を録音するなら…ほりUちさん!よろしくお願いします
 
前回更新日:2016年1月2日
最終更新日:2019年4月21日

ため息(ラモー)

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 キティちゃんには口がない。表情を決定する重要なパーツである口をあえて描かないことで、見る人と感情を同調させる効果があるらしい。嬉しいときは一緒に喜んでくれているように見え、悲しいときは一緒に悲しんでいるように見える。キティちゃんは、人の心を映す鏡。
 
<曲名>
ため息(ラモー)
 
<演奏>
ボブ・ジェームズ
 
原曲 http://www.youtube.com/watch?v=YFFNpUtZHLE (楽譜付き)
 
 n先生からお借りしたアルバムが素晴らしい。ボブ・ジェームズという人はアメリカのジャズ・フュージョンのアーティストらしい。ぼくはこの人のことを名前くらいしか知らないので、「あのボブ・ジェームズがラモーを!」みたいな意外性は感じようがないし、今もボブ・ジェームズがどんな人か知らない(←調べろよ)。
 
 「ため息」というタイトルの由来も知らないけど、長調で書かれているから明るいとは一概に言えない。疲れている自分を癒してくれるようであり、つらいことがあったときに慰めてくれているようでもある。揺りかごの中の新生児を優しく包む空気のようであり、年齢を重ねた大人が静かに人生を振り返っているようでもある。ラモーは、人の心を映す鏡。
 
 いつの日か、ゆうちゃんが花嫁になるとき、ゆうちゃんが生まれてからの写真やビデオをつないで短いサイレントムービーをつくるなら、その映像に重ねる音楽として、これ以上の曲はちょっと思いつかない。

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