世界の国歌

ロンドン・オリンピック、真っ只中。オリンピックと言えば表彰式。表彰式と言えば国歌。というわけで、「世界の国歌」第2弾。
 
ところで、「君が代」の調性は何調でしょう?記譜はハ長調に見えますが、終わりの音は「レ」だし、四七抜き(ヨナヌキ)音階かな?と思ったら(「ドレミファソラシド♪」の4番目(ファ)と7番目(シ)がない音階)、途中で「シ」が出てきます。そんなわけで、夜も眠れぬほど悩んでいたところ、先日読んだ本に明快に解説されていました。
この曲の音階は雅楽の律旋(リツセン)であって、壱越(イチコツ)の音を主音とするので「壱越調律旋(イチコツチョウリツセン)」の曲と呼ばれる。律旋というのは西洋長音階の第二音(レ)を主音とし、第四音(ファ)を欠き、第七音(シ)を下降進行にだけ用い、第八音(ド)を上昇進行にだけ用いるという形の音階で、壱越という音の高さはほぼ「ニ」の音に当るから、この譜を五線上に書くとハ調長音階と同じように見えるが実質は「ハ」でなくて「ニ」が中心となり、長音階の動き方でなくて律旋の動き方をしているのである。(堀内敬三「音楽五十年史」上巻、講談社、昭和17年初版、昭和52年改訂)
つまり、上昇音階は「レミソラドレ♪」、下降音階は「レシラソミレ♪」という雅楽の音階だそうです。でも、「さざれいしの」の「いし」の部分は下降音階に「ド」を使っているように思えるのは…なんでだろう~♪
 
では、今日の本題。(←疑問を放置するLoree)
 
<曲名>
賛歌(シュトックハウゼン)
Stockhausenの短波ラジオの使い方には、ラジオの音の偶然性だけでなく、ラジオの「向こう側の世界」とのつながりを求めているようなロマンチックさも感じます。転換期にあったStockhausenは、短波の音に心のよりどころを求めていたのでは、とも思えます。実際、世界各国の「国歌」を素材にした「賛歌」は、短波ラジオから聞こえた多くの国歌から着想したようです。冒頭、短波のチューニング音で始まり、随所にチューニング音やノイズが聞こえています。そこに、Stockhausenが考えているところの「最もよく知られている音楽」である各国の国歌がコラージュされ、最後は「すべての人類の呼吸のよう」な、静かな呼吸の音で終わっています。短波は、すべての国、人類が一つにまとまっている場(当時は冷戦下でもあった)として考えられていたのではないでしょうか。(「「楽器」としてのラジオ?!」より)
オリンピックシーズンにこれ以上相応しい曲があるでしょうか。この解説も素晴らしい。唯一残念なのは、ぼくにこの音楽を受け止める感性が欠如していることです。約2時間の大作ですが、最初の30秒間で挫折します
 
さて、「君が代」はどの辺に出てくるでしょう?(←自分で聴けよ。)
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わが家の天才少女

<曲名>
ピアノ三重奏曲ト長調~第1楽章(ハイドン)
http://www.youtube.com/watch?v=LbTLdaOOB0E (6分52秒)
 
ゆうちゃんは12歳、小学6年生。少し前のことですが、室内楽デビューしました。共演してくださったのは某名門音大で講師を務めるピアニストと、某プロ交響楽団のチェリスト。ゆうちゃんレベルではあり得ないことで、このような機会をいただいたことに感謝しています。
 
ぼくは本番を聴きに行けなかったので、この録音がすべてですが、今までのゆうちゃんの本番では最高の演奏。音大を目指すわけでもない、ましてやプロになるわけでもない(無理)、人並みの小学生ですが、自分が同じ年頃だったときにはこんなことはできなかったし、わが子が眩しいです(親バカ)。ゆうちゃんは今月からフルサイズの楽器を使うようになったので、このピアノトリオは分数楽器での最後の本番。良い記録となりました。
 
室内楽に疎く、ハイドンのピアノトリオを聴いたことないぼくと娘のために情報提供してくださったFJさん、また、本番のサポートをしてくださったiz○rudeさんに、この場を借りましてあらためて御礼申し上げます。

フリードリヒ・グルダ、モーツァルトのソナチネを弾く。

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<曲名>
ピアノ・ソナタ第15番ハ長調K545(モーツァルト)
 
<演奏>
フリードリヒ・グルダ(ピアノ)【1965年録音、amadeo】
http://www.youtube.com/watch?v=Yg-ALoxOtYI (12分30秒)
 
全国のピアノ少年少女には「ソナチネ・アルバム」でおなじみの第15番。以前にグリーグ編曲の2台ピアノ版(リヒテル&レオンスカヤ)を取り上げましたが、今回は原曲。
 
…と言いたいところですが、この演奏を「原曲」と言ってよいのか。白眉は第2楽章。古典の様式って、逸脱してはいけないとしたら、それは誰のためだろう?グルダは湧き上がるインスピレーションを抑えることができない。原形を留めないほどの凄まじい装飾と旋律の変形に彩どられ、ほとんどインプロヴィゼーション(即興演奏)の域。左手はモーツァルト、右手はグルダ。ぼくには二人が連弾しているように思える。
 
小学生のレッスンのお手本にはならないかもしれないけど、ピアノを弾くとはどういうことなのか。音楽をするとはどういうことなのか。「ソナチネ・アルバム」を弾く子だって、そんなことを考えてみてもいい。
 
レッスン室よりも、バーでグラスを傾けながら聴きたいモーツァルト。

ピアノ・ソナタ第14番「月光」(ベートーヴェン)

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<曲名>
ピアノ・ソナタ第14番嬰ハ短調「月光」作品27-2(ベートーヴェン)
 
<演奏>
ジョス・ファン・インマゼール(フォルテピアノ)【1983年録音、ACCENT】
ベートーヴェンが十八歳の時のある夜、ボン郊外を散歩していると、一軒の小さな家からピアノの音が聞こえてきた。自分の曲であることに気がつき覗いてみると、演奏しているのは盲目の少女である。感動した彼は、家に入り、ピアノの前に坐ると即興演奏を始めた。折から窓辺には煌々とした月光が射し込み、彼の弾くピアノを照らし出した。やがて突然立ち上った彼は、急いで家に帰り、窓から入ってくる月光を浴びながら、さきほどの即興曲を一気に書き上げた。(宮本英世「名曲とっておきの話」音楽之友社、1987年)
この有名なエピソードは後世の創作ですが、この演奏の第1楽章はまさに月明かりの中に音が浮かび上がるような幻想的な雰囲気。決して、蛍光灯の下で弾いている音ではない。そして第3楽章は楽器の性能を超えんばかりの迫力で、楽器の軋む音が生々しい。これこそベートーヴェンの本質ではないのか。
 
この演奏に使用されている1824年製のコンラート・グラーフは6オクターヴ半の音域と4種類のペダルを備えていて、当時のフォルテピアノとしてはかなり大きい部類に入るらしい。ベートーヴェンがこのソナタを作曲したのは1801年(30歳頃)。「たった20数年」だけど、年を追うごとに楽器が大型化していった時代においては「十年一昔」だったはず。現代の感覚に置き換えるとパソコンのようなものかも。
 
だから、このコンラート・グラーフは厳密には作曲当時(19世紀初頭)の響きじゃないけど、ぼくは、この演奏にリアリティを感じる。現代ピアノのクリアな音で安定的に鳴るベートーヴェンは…

即興曲作品90-4(シューベルト)

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<曲名>
即興曲変イ長調 作品90-4(シューベルト)
 
<演奏>
ランバート・オーキス(フォルテピアノ)
http://www.amazon.com/dp/B00004TQQW 【1989年録音、Virgin Classics】
(試聴できます)
 
1826年製コンラート・グラーフのフォルテピアノによるシューベルト。「フォルテピアノ」とは、昔のピアノです。ひとくちに「ピアノ」と言ってもこの楽器の300年の歴史の中で少しずつ変化し、昔のピアノと現代のピアノではかなり違います。時代とともに音域は拡大し、強靭なつくりとなり、強弱の幅も広くなりました。詳しいことは知りませんが、とにかく違います(←無責任)。
 
音色に惹かれる。現代のピアノでも名手であれば多彩な音色を引き出しますが、この楽器はそもそも楽器自体が様々な音色を持っていて、(おそらくペダル操作で)使い分けが自由自在。冒頭からして現代ピアノには存在しないくすんだ音色に耳を疑い、そしてまもなく雲が切れて光が差し込むように、ほんの一瞬のうちに明るく乾いた音色に変わっていく。中間部の幻想的な音色の揺らめきにはめまいがする。現代ピアノと比較する必要はないし、「シューベルトの時代はこうだった」的なオーセンティシティ(歴史的正当性)論も忘れていい。
 
現実と幻の狭間にあるような音色。

まるでディズニー? 軍隊奇想曲(アルカン)

「サラダ食った、メシも食った、デブの高木ブー♪」の歌詞でおなじみのディズニー映画「シンデレラ」の挿入歌「ビビディ・バビディ・ブー」(※1)との激似ぶりではプロコフィエフの交響曲第7番(前回紹介)に勝るとも劣らない19世紀のピアノ曲。
 
<曲名>
軍隊奇想曲 作品50-1(アルカン)
 
<演奏>
ロナルド・スミス(フォルテピアノ)【1969年録音、英オリックス?】
http://www.youtube.com/watch?v=Yz_clF0qjUo (6分29秒)
 
アルカン(1813~1888)は、ショパン(1810~1849)やリスト(1811~1886)と同世代のフランスのピアニスト兼作曲家。伝記で紹介されるようなエピソードは省略します。
 
先ず冒頭、ピアノ学習者には懐かしいブルグミュラーの「アラベスク」(※2)の不気味な変容から始まります。「アラベスク」(ブルグミュラー「25の練習曲」)は1851年(※3)、「軍隊奇想曲」は1859年(※4)の作品であることから、この2曲はブルグミュラーのほうが先です。
 
そして、途中(1分30秒~)から現れる主題はまるでディズニー!もちろんアルカンのほうが先です。その後も「アラベスク」と「ビビディ・バビディ・ブー」が交互に現れて進行します。まあ、「軍隊風」と言われればそんなリズムですが、なぜ軍隊風なのか。ブルグミュラーのパロディには何の意味があるのか。この極端な曲調の対比は何なのか。CDの解説書が英語で書かれているので、詳しいことは分かりません(←英検4級)。
 
ロナルド・スミスは、アルカンの演奏で有名なピアニスト。動画の音源は、おそらく谷戸基岩氏が紹介していた(※5)英オリックス・レーベルの≪コルト・クラヴィア・コレクション≫第3集でしょうか。このレコードでロナルド・スミスは1851年製のシュナイダーと、1855年製のエラールという2つのフォルテピアノを弾き分けているそうですが、1990年代の再録音は現代ピアノによる演奏。うちにあるのは後者です。長年、≪コルト・クラヴィア・コレクション≫を探しているのですが、未だ見つかりません。
 
「軍隊奇想曲」は、発表会やコンサートで弾くなら「アラベスク」のあとに置くプログラムが最高!さらに「ビビディ・バビディ・ブー」も加えるどうかは、奏者のセンスに委ねます(逃)
 
※1 「ビビディ・バビディ・ブー」原曲 http://www.youtube.com/watch?v=BAJr1ixBdIc
※2 ブルグミュラー「アラベスク」原曲 http://www.youtube.com/watch?v=takFqr3iaHA
※3 PTNA≪みんなのブルグミュラー≫連載第1回「タイトルと日本語訳」 http://www.piano.or.jp/report/02soc/bma/2006/03/24_5635.html
※4 PTNA≪ピアノ曲事典≫より「アルカン:軍隊風奇想曲」 http://www.piano.or.jp/enc/pieces/index/11146/
※5 山野楽器の情報誌≪Varie(ヴァリエ)≫1999年6月号、連載「谷戸基岩のディスク漫遊記」第3回

交響曲第7番「青春」(プロコフィエフ)

<曲名>
交響曲第7番嬰ハ短調「青春」(プロコフィエフ)
 
「え~?プロコフィエフの交響曲なんて知らない。」という方も「古典交響曲」(交響曲第1番)は聴いたことあるかも。「古典交響曲」の第3楽章(→ http://www.youtube.com/watch?v=JP3OZKhLcZU )は「N響アワー」放送末期のオープニングテーマ曲だったので、全国約120万人の日本人におなじみです(視聴率1%と勝手に推定)。
 
さて、第7番はプロコフィエフ(1891~1953)の最後の交響曲(1952年)です。「青春」という副題はこの交響曲がラジオの児童番組のために構想した作品で、プロコフィエフ自身が「青年の前途の喜びという思想により生まれた」「青春交響曲」と語っていたことから付いているらしい。現代の平均的日本人(ぼく)がイメージ(妄想)する「青春」という言葉とはちょっと意味が違い、また、そんな「青春」のひとこまを直接的に描いた曲でもありませんが、全曲聴きやすく、第4楽章(最終楽章)は特に楽しい
 
○第4楽章
ヤン・クチェラ指揮プラハ放送交響楽団
https://www.youtube.com/watch?v=i0DNGGawvck (8分37秒)
 
ごく短い序奏につづいて登場する主題(0分13秒~)は、学生オケで先輩たちがこの曲を演奏したときに「ミッキーマウスのマーチ」と言っていたのはまさにその通り、ほとんどディズニー的な大騒ぎのノリ!また、途中(2分15秒~)に登場する主題は「ピーターと狼」的な雰囲気の中、なんとな~く「シンデレラ」の「ビビディ・バビディ・ブー」に似ている?(ちなみに「シンデレラ」は1950年公開)
 
ソ連当局が「分かりやすさ」を強いた結果、よりによって敵国アメリカのアニメーション風の音楽になってしまったことはなんとも皮肉。あるいは確信犯なのか。でも、ディズニーテイストだけでは終わらず、第1楽章の第2主題の名旋律が再現する場面(4分48秒~)は実に感動的で「青年の前途の喜び」を感じないわけにはいかない(←その気になりやすい男、Loree)。
 
ところで、第4楽章のエンディングには2種類あって、(a)弱奏のピツィカートで消えるように終わる版と、(b)例の「ミッキーマウスのマーチ」が再現して強奏で終わる版があります。うちのオケで使っていたのは(b)の版。そのとき先輩は結尾23小節について「作曲者が初演後に削除した」とプログラム解説に書きましたが、Wikipediaでは「初演指揮者の要望でオリジナルの終結部に追加された」とまるで正反対のことが書かれています。リンク先の演奏は(b)の版によるエンディングです。(a)の版でこの曲を覚えた方にはきっと(b)のエンディングは「蛇足」に思えるかもしれませんが、ぼくのように(b)の版で覚えると(a)はいかにも画竜点睛を欠くといった感じです。さて、真実は…?

交響曲第7番(ドヴォルザーク)

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<曲名>
交響曲第7番ニ短調(ドヴォルザーク)
 
「新世界」よりも、8番よりも、7番がいい。「スラヴ色が希薄」「ドイツ風」と評されることもあるけど、そんなことは関係ない。ぼくはドヴォルザークを聴きたいわけじゃない。熱い音楽を聴きたくて、それがたまたまドヴォルザークの7番だったというだけのこと。
 
<演奏>
ジョン・バルビローリ指揮ハレ管弦楽団【1957年録音、EMI原盤/Disky】
http://www.hmv.co.jp/en/product/detail/306469
http://www.youtube.com/watch?v=AdpOMbOyoKw (2時間17分03秒)
第1楽章 動画の1時間06分06秒~
第2楽章 動画の1時間16分10秒~
第3楽章 動画の1時間26分01秒~
第4楽章 動画の1時間33分07秒~1時間41分50秒まで
(7番を初めて聴く方は第3楽章、よくご存知の方には第4楽章をおすすめします)
 
バルビローリが熱い。ステレオ録音ながら荒れた音質、さらにオーケストラも荒れている。この熱さは派手な炎上ではなく、焼けた鉄から伝わってくる熱さ。エモーショナルなヴァイオリンは、焼けた鉄の内側に通っているのが人間の血であることを強く感じさせる。このバルビローリ節は8番の第3楽章(上の動画の2時間02分05秒~)でも最高に発揮される。
 
第3楽章で弦楽器を短く鋭く弾かせるのは、バルビローリがブルックナーの7番のリハーサルで第3楽章の冒頭を執拗に繰り返し練習していた様子を思い出す(※)。でもそんなことは細部の問題であって、圧倒的な気迫、推進力、エネルギーが全楽章を一気通貫、聴き手に冷静でいることを許さない。第4楽章ではさらにテンションが上がり、この先には破滅しかないと知っていながら一心不乱に突き進んでいくかのような凄味。このオーケストラは本気だ。
 
熱いぜ、バルビローリ!
 
≪The Art of Conducting≫
http://tower.jp/item/1836186/アート・オブ・コンダクティング~今世紀の偉大な名指揮者たち

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