オーボエ協奏曲(モーツァルト)

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<曲名>
オーボエ協奏曲ハ長調K314(モーツァルト)
 
モーツァルトの「K314」は、歴史的には「フルート協奏曲第2番ニ長調」として後世に伝わった作品ですが、実は「オーボエ協奏曲ハ長調」という原曲が存在したことが20世紀になって判明しました。そもそも管楽器のための協奏曲というジャンルはピアノ協奏曲とかヴァイオリン協奏曲ほどレパートリーが潤沢じゃないので、どっちが原曲にしてもオーボエにとってはたいへん貴重です(←Loreeが吹けるかどうかは別問題)。
 
それでも、長年にわたって「K314」の本家として刷り込まれてきたフルート版に比べると、オーボエ版はなぜか肩身が狭くて、かつてオーボエ奏者は「この曲はフルート協奏曲として有名だけど、実はオーボエ版が原曲で…」と言い訳がましく紹介したものです(たぶん)。近年は日本人オーボエ奏者の黒木泰則氏の尽力によってその立場はすっかり逆転し、今では「えっ、フルート版もあるの!?」と驚く方も多いのではないかしらん。
 
ここから本題。前回記事と前々回記事ではオーボエ・ダモーレとイングリッシュホルンを聴き比べてみましたが、オーボエという楽器は奏者による音色の違いが大きく、これが本当に同じオーボエかと思うほどです。というわけで、今回は20世紀を代表する2人のオーボエ奏者を聴き比べます。
 
<演奏>
ローター・コッホ(オーボエ)、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィル【1971年録音、EMI】
http://www.youtube.com/watch?v=c4Jrak58maI (7分26秒) オーボエのソロは1分03秒~
 
とても現実に人間が吹いているとは思えない、まるで魔法の世界から届けられた音。元来、リード楽器はトゲトゲしく、ビリつきのある粗野な音がするものですが、究極まで熟成するとここまで柔らかくなるものでしょうか。まるで霜降り和牛のような旨味のある音は、いかにもカラヤンらしい豊満なサウンドと意外にもマッチしていて、なるほど彼はこのオーケストラの首席だったと思い出します。
 
<演奏>
ハインツ・ホリガー(オーボエ)、ヘスス・ロペス=コボス指揮ローザンヌ室内管弦楽団
http://www.youtube.com/watch?v=A2UC3Fo765w (8分21秒) オーボエのソロは2分12秒~
 
体脂肪を極限まで落とした細身の音は、まるで金属の針先にリードを付けているかのようです。いかにも薄そうなリードで、オーボエという楽器はこんなにしゃべるように自由自在に表情豊かな音を引き出すことができるのかと感嘆せずにはいられません。この演奏はライヴのハンディがあるし、ひょっとしたら全盛期を過ぎているかもしれませんが、はじめの1フレーズでホリガーだと判る音です。
 
さて、どちらがお好みですか?
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オーボエ・ダモーレとイングリッシュホルン

前回記事「ボレロ」で、オーボエ・ダモーレとイングリッシュホルンの違いがよく分からなかった人(ぼく)のために。
 
(1)オーボエ
カンタータ第82番「われは満ちたれり」BWV82~第1曲(バッハ)
マンフレート・クレメント(オーボエ)
カール・リヒター指揮ミュンヘン・バッハ管弦楽団
 
(2)オーボエ・ダモーレ
ミサ曲ロ短調BWV232~グロリア第6曲(バッハ)
クルト・ハウスマン(オーボエ・ダモーレ)
カール・リヒター指揮ミュンヘン・バッハ管弦楽団
 
(3)イングリッシュホルン
カンタータ第1番「暁の星のいと美しきかな」BWV1~第3曲(バッハ)
クルト・ハウスマン(イングリッシュホルン)
カール・リヒター指揮ミュンヘン・バッハ管弦楽団
 
それぞれ最初の1フレーズだけでも各楽器のキャラクターと音域の違いは明白です。胸が張り裂けんばかりの悲しみに包まれ、人目も憚らずに慟哭する直情的なオーボエ。悲しみを胸の内にしまって、しかし目にうっすらと涙を湛える内省的なオーボエ・ダモーレ。野太く朗らかな音色で、羊たちが草を喰んでいるのどかな田園風景を想起させるイングリッシュホルン。
 
バッハの指定は「オーボエ・ダ・カッチャ」ですが、カール・リヒター盤ではイングリッシュホルンで代用しています。ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」の第2楽章で「遠き山に日は落ちて」のメロディを吹いているのがイングリッシュホルンです。(→ https://www.youtube.com/watch?v=WuqyfEyNXQo、この映像の11分26秒~)
 
(おことわり)
すべて、歌詞の内容を完全無視したLoreeの主観的なイメージです
 
これで違いの分かる男になった方は「ヘッケルフォン」をどうぞ(→ http://www.youtube.com/watch?v=nKEAZW3ebZc)。これは主にR・シュトラウスの作品に使用されるオーボエ属の低音楽器ですが、ソロの機会はほとんどなく、ダモーレ以上に縁遠い楽器です。あえて挙げるとヒンデミットの「ピアノ、ヴィオラ、ヘッケルフォンのための三重奏曲」というオリジナル作品があるそうです。ヘッケルフォンもソロで聴けばオーボエ属の血を感じますが、もしオーケストラの中でファゴットで代用されていたとしても、ぼくは気づく自信がない
(←違いの分からない男、Loree)

ボレロ(ラヴェル)

<曲名>
ボレロ(ラヴェル)
 
<演奏>
クリストフ・エッシェンバッハ指揮パリ管弦楽団
http://www.youtube.com/watch?v=8po7FZonP-I (3分37秒~、オーボエ・ダモーレ)
この楽器を知らないかたも多いだろう。これは、オーボエとイングリッシュホルンの中間、オーボエをソプラノとし、イングリッシュホルンをテナーとするならば、アルトにあたる。オーボエよりはやや低い、暖かい、やわらかな音のする楽器である。(中略)ダ・モーレは、前述のように日常あまり使う楽器ではないので、バッハ関係か、ラベルの「ボレロ」(すてきなソロがある)でも来ないことには、引き出しの奥にしまいこんである。(茂木大輔「オーケストラは素敵だ」音楽之友社、1993年)
同じオーボエ属の楽器でも、イングリッシュホルンは「新世界より」の第2楽章とか、「幻想交響曲」の第3楽章とか、「アランフェス協奏曲」の第2楽章とか、様々な有名曲で印象的なソロが与えられているのに対し、オーボエ・ダモーレは近現代の有名曲では「ボレロ」がほとんど唯一のソロです。
 
ところが!オーボエ・ダモーレは、プロでもない下々のオーボエ吹き(ぼく)にとっては「楽器店に飾ってあるのを見た」という以上の関わりがないのがふつうで、「誰かから借りて吹かせてもらった」なんて言ったら自慢になるくらいの楽器なので、「ボレロ」も、オーボエかイングリッシュホルンで代用するのは珍しくないのが実情です、間違いない。
 
<演奏>
Matjaz Breznik指揮Youth Symphonic Orchestra Music School Celje
http://www.youtube.com/watch?v=UDtNTX62760 (3分41秒~、ふつうのオーボエ)
 
<演奏>
Johannes Müller-Stosch指揮Cole Conservatory Orchestra California State University, Long Beach
http://www.youtube.com/watch?v=sZgM6ZJ9D0Y (3分20秒~、たぶんイングリッシュホルン)
 
判定はいかに。

あの日本人作曲家の交響曲第1番

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<曲名>
交響曲第1番ニ調(橋本國彦)
私は当分ティンパニは見習いだったが、小太鼓でハレの舞台に立ったのは、橋本国彦先生の≪交響曲・ニ調≫の初演である。第一楽章のマーチふうなところでは小太鼓がソロなみに活躍する。橋本先生のやや気取った棒が、小生の出のところでピタリと決まると、先生は満足気な顔でニッコリされるのが嬉しく、ハリ切った。(中略)第二楽章の沖縄旋律によるスケルツォも新鮮だが、終楽章が〈紀元節の主題による変奏曲とフーガ〉で、戦後にあってこの交響曲は不利な状況に置かれてしまった。むしろ〈越天楽の主題による〉と変えたほうがよかったのにと思う。(畑中良輔「O先生と呼ばれる教頭なかりせば」:音楽之友社「宇野功芳編集長の本」1999年より)
橋本國彦(1904~1949)の交響曲ニ調は皇紀2600年(西暦1940年)初演。東京音楽学校オーケストラの一員としてその初演に参加した人がつい昨年(2012年)まで存命だったことに驚きます。ぼくはこの話を読んでこの交響曲に興味を持ちましたが、当時はまだ録音がなく、10年ほど前(2002年)にようやく世界初録音盤がリリースされました。片山杜秀氏の解説はいつも充実しているけれども、当盤に畑中良輔氏の回想が載らなかったことは残念です。
 
<演奏>
沼尻竜典指揮東京都交響楽団【2001年録音、NAXOS】
第2楽章 http://www.youtube.com/watch?v=zw9MJ2Pgoqo (11分09秒)
 
琉球音階の民謡のような主題が様々に楽器を変えて反復される和製「ボレロ」。これも変奏曲の一種と言えるでしょう。それにしても、この主題の魅力!居心地よく、沖縄には行ったことないのに、なぜか懐かしい気持ちになります
(←その気になりやすいLoree)
 
今話題の広島ゆかりの日本人作曲家の「交響曲第1番」もいつか聴いてみたいと思っているのですが、蒸し暑い季節が過ぎてからでもいいかな。

猫とか犬とかスペインのギターとか。

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まるで音楽の仮装大会。
 
<曲名>
常軌を逸したカプリッチョ(ファリーナ)
 
<演奏>
ニコラウス・アーノンクール指揮ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス【1969年録音、TELDEC】
 
冒頭のカントリーダンス風のテーマが、まるでムソルグスキーの「展覧会の絵」のプロムナードのように形を変えて何度も現れ、その間に弦楽器が他の様々な楽器や動物の鳴き声を模倣する異色作。
 
「カンツォーナ」(0分00秒~)
「リラ」(1分58秒~) ハーディー・ガーディー(という楽器)の模倣
「小型の横笛」(3分27秒~)
「リラ・ヴァリアータ」(4分02秒~) ハーディー・ガーディーで演奏される舞曲
「弦を弓の木部で叩く」(5分11秒~) 音楽史上初めてのコル・レーニョ奏法
「トランペット」(7分44秒~)
「クラリーノ」(7分54秒~)
「ドラム」(8分23秒~)
「雌鶏」(8分51秒~) コッコッコッコッ
「雄鶏」(9分00秒~) コケコッコー!
「小型のフルート」(9分35秒~)
「トレムラント」(12分17秒~) オルガンの風圧を変化させてヴィブラートをかける装置。オルガン奏者は転調を試みるが果たすことができない。
「軍隊の横笛」(13分33秒~)
「猫」(14分06秒~) ニャ~オ、ニャ~オ、…そして蜘蛛の子を散らすように逃げていく
「犬」(15分04秒~) ワンワンワンワン!
「スペインのギター」(17分03秒~)
 
カルロ・ファリーナ(1600頃~1639頃)はモンテヴェルディの弟子で、シュッツが楽長を務めるドレスデンの宮廷楽団(現在のシュターツカペレ)のコンサートマスターだった人物。この時代、ヴァイオリンはまだ歴史の浅い楽器で、コレッリとかヴィヴァルディが登場するのは2~3世代も後のことです。
 
そんな黎明期にこんな実験的な音楽を書いているのは、ヴァイオリンがまだ新しい楽器だったからこそ演奏技術を開発し尽くそうとする挑戦意欲が旺盛だったわけで、「俺のヴァイオリンに表現できない音はない!」と言わんばかりに様々なモノマネを披露するファリーナはどんな得意気な顔でこれを弾いたのだろう。それからほとんど100年後にヴィヴァルディが「春」において鳥のさえずりとか様々な自然界の音を模倣したのは、彼の創意ではなく、イタリアのヴァイオリンの伝統だったはず。しかしファリーナと比べるとずいぶん上品で、「芸」と言うよりもはや「芸術」です。
 
芸でも大いに結構。ファリーナのユーモアは、中には現代人には分かりにくいネタもありますが、「雄鶏」「猫」は17世紀と何も変わらない!そして「スペインのギター」にも時代を超越した熱気を感じずにはいられません。楽譜は意外と流通しているようで、弦楽四重奏でも演奏できるこのユニークな曲を、古楽の専門家だけでなく、現代の弦楽器奏者が取り上げてくれるようになったらいいな。
 
「常軌を逸したカプリッチョ」という訳はアーノンクール盤に従いました。現在は日本語でも「カプリッチョ・ストラヴァガンテ」(Capriccio Stravagante)と表記するのが一般的だと思います。

おやすみクラシックス

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主音から1つずつ下がっていく4つの音(ラ-ソ♯-ファ♯-ミ)を固執低音にもつシャコンヌ。
 
<曲名>
シャコンヌ イ長調(シュニッテルバッハ)
 
<演奏>
アンサンブル・エコー・デュ・ダニューブ
Martin Jopp(ヴァイオリン)
Christian Zincke(ヴィオラ・ダ・ガンバ)、Michael Dücker(テオルボ)、
Margit schultheiß(イタリアン・ダブル・ハープ)、Alexander Weimann(オルガン)
【2002年録音、NAXOS】
 
ヤコプ・ルードヴィヒ(1623~1698)という宮廷音楽家が自分のパトロンへの誕生日プレゼントとして編んだ楽譜集≪DAS PARTITURBUCH≫に含まれる1曲。シュニッテルバッハ(1633~1667)という作曲家は当盤を聴くまで名前も知りませんでした。解説書が英語なので詳しいことは分かりませんが(←英検4級)、「リューベック・ヴァイオリン楽派の最も重要な後継者の一人」だそうです。そんな楽派があることも知りませんでした
 
ところが、シュニッテルバッハのシャコンヌをネットで検索すると意外にも日本語の関連情報がたくさんヒットしてビックリ!なんと、数年前にエイベックスが発売した≪おやすみクラシックス≫という、どう考えてもマニア向けとは思えないオムニバス盤に、パッヘルベルのカノンにつづいてこの曲が収録されていました(おそらく同じ演奏)。これを企画した人、凄すぎる。
 
それにしても、このテトラコルドは必殺です。特に長調だとしみじみとした幸福感と懐かしさが胸に迫り、冒頭でこの固執低音がゆっくり提示されるだけで涙が出てきそうになります。この演奏のコンセプトもまさにそんな感じで、最後のほう(7分48秒~)はかなり音符が細かくなりますが、マンゼのように煽らない。素朴な暖かさ。シュメルツァー(前々回記事参照)と同様、これもまたパッヘルベルのカノンの源流の一つではないかと感じます。
 
エイベックスの担当者も、同じことを感じたのかもしれない。

スマホと期末テストとヴィヴァルディの「春」合唱版

先月、中間テストの後、ゆうちゃんの携帯をガラケーからスマホに切り替えました。中学生にスマホが必要かどうかは議論のあるところですが、若い子がこれから先もこういう機器を遠ざけて生きていくことは現実的じゃないし、どうせいつか使うなら親子のコミュニケーションが密なうちに正しい使い方を教えたほうがいい。
 
ゆうちゃんのクラスでもスマホ普及率は親の想像以上に高く、LINEのクラスの女子グループには半数が参加しています。家庭の数だけ価値観があり、ここで学ぶ社会のルールもあるでしょう。ゆうちゃんにとっては念願、親としては多少の覚悟をして、スマホデビューさせることにしました。
 
先ずは、見知らぬ人のブログ記事で知った「スマホ18の約束」をわが家なりにアレンジした「20の約束」に署名させました。それと、警視庁のサイバー犯罪対策課が制作した動画「画面の中の分かれ道」を一緒に視聴。これがとてもよくできている!剛●彩芽のガイドにつづいて「スマホの落とし穴」「危ないID・パスワード」「無料という名の誘惑」「見えない相手にご用心」という4つのテーマについて、どのような手口で犯罪に巻き込まれていくかをドラマ仕立てで教えてくれます。
 
警視庁のHPには他にもいろんな啓発動画があって、ネット関連のテーマをピックアップして2日間かけて約3時間、一緒に観ました。短い時間ではないけど、「気をつけようね。」だけでは、たぶん子どもには伝わらない。必要な時間だったと信じます。
 
それから2週間。ゆうちゃんは友だちとメールやらLINEで毎日おびただしい数のやり取りをしています。「1日30分」という約束だけど、本当に30分に収まっているのか?どうしたものかと思い始めていたら、昨日、期末テストまであと2週間ということでテスト範囲のプリントを持ち帰り、なんと「テストが終わるまで預かってて。」と自主的にスマホを差し出してきた。ゆうちゃん、お父さんは君を見直した。
 
<曲名>
「四季」~春(ヴィヴァルディ)
この曲は「春」の天候や状態がはっきりと表れています。三人のソロの人がまさにその天候や状態を表しています。「小鳥」や「嵐」などです。小鳥はヴァイオリンがトリルをしていて、嵐は、低音楽器が下の方からゴぉぉぉ!!と、雷がドカンと落ちるかんじ。また、ヴァイオリンがすばやく動いていた。私は、「小鳥」の場面がかわいくて好きです。(ゆうちゃん)
音楽の期末テストの範囲にはヴィヴァルディの「春」がありました。ぼくが中学1年のときもこの曲を聴きました。しかし!ゆうちゃんが使っている教科書にデカデカと載っている演奏風景の写真は、ファビオ・ビオンディ&エウロパ・ガランテ!また、「冬」の第2楽章をイ・ムジチ(モダン楽器)とトレヴァー・ピノック&イングリッシュ・コンサート(ピリオド楽器)で聴き比べてみましょうなんていうコーナーも載っていて、実際に授業で聴いたかどうかは知りませんが、1980年代にはなかった内容です(汗)それにしても、フツーの中学生にはいささかマニアックな内容じゃないのか?と思わないでもない。
 
某出版社の「予想問題集」を開いたら、こんな問題が載っていました。
(A)~(L)に当てはまる言葉を【 】の中から選びなさい。この曲の作曲者(A)(B)のベネチアに生まれた。この作曲者の活躍した時代を西洋音楽史では(C)時代という。この曲は、ヴァイオリンの独奏、(D)を担当するチェンバロ、(E)のための協奏曲で、(F)楽章にまとめられており、(G)と呼ばれる短い詩に基づいて作られている。この曲はヴァイオリン、(H)(I)(J)(K)で演奏されるが、(L)が和音を加えることもある。【バッハ、バロック、チェロ、イタリア、ヴィヴァルディ、ソネット、3、5、弦楽合奏、通奏低音、ピアノ、ヴィオラ、チェンバロ、コントラバス、パイプオルガン、テオルボ】
誰ですか?(H)~(L)に何とかして「ピアノ」と書きたくて実例を探しているのは…
 
(応用編)
■「春」の第1楽章の冒頭テーマの転用
歌劇「嵐の中のドリッラ」RV709より冒頭合唱“Dell'aura al sussurrar”(そよ風のささやきに)
http://www.youtube.com/watch?v=zZGGrUG8zo8
 
■「春」の第3楽章の冒頭テーマの原形
オラトリオ「勝利のユディータ」RV644よりアリア“Vivat in pace”(平和に生きよ)
 
これで完璧。

シャコンヌ対決 シュメルツァーとパンドルフィ・メアッリ

主音から1つずつ下がっていく4つの音(レ-ド♯-シ-ラ)を固執低音にもつシャコンヌ。
 
<曲名>
ヴァイオリンと通奏低音のための第4ソナタ(シュメルツァー)
 
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アンドルー・マンゼ(ヴァイオリン)
ナイジェル・ノース(テオルボ)、ジョン・トール(チェンバロ)
【1995年録音、harmonia mundi FRANCE】
 
先ずは前回につづいてシュメルツァー(1620頃~1680)。ドイツ語圏においてもイタリア人が音楽界を席巻していた当時、シュメルツァーはオーストリア人でありながら異例にもハプスブルク家のレオポルド1世の宮廷楽長に抜擢され、爵位まで与えられました。彼が他界したとき、バッハ(1685~1750)はまだ生まれてもいない、そういう時代の人物。
 
彼の6曲から成るヴァイオリン・ソナタ集(1664年、ニュルンベルク)は、ドイツ語圏の音楽家によって出版された最初のヴァイオリン曲集だそうです。この曲集の第4ソナタが冒頭からいきなりシャコンヌ!「ソナタ」と言っても古典派以降の「ソナタ形式」ではなく、ぼくは「器楽曲」といった程度の意味だと理解しています。
 
ぼくはシャコンヌという形式自体が好きですが、テトラコルドの固執低音は特にいい!数あるシャコンヌの中でもこれ以上にシンプルな固執低音は考えられません。下降する4つの音が提示されただけでドキドキして本能的な快感を覚えます。
 
<曲名>
ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ「ラ・カステッラ」作品3-4(パンドルフィ・メアッリ)
皆さん、パンドルフィ、詳しくはジョヴァンニ・アントニオ・パンドルフィ・メアッリという名をもつ17世紀イタリアのヴァイオリン奏者をご存知ですか。実は、わたくしは知りませんでした。(「レコード芸術」2011年9月号、皆川達夫)
次に、パンドルフィ・メアッリ(1629~1679頃)。彼はイタリア人で、ドイツ語圏にヴァイオリン音楽を移入した最初期の音楽家の一人だったそうです。「作品3」「作品4」各6曲から成るヴァイオリン・ソナタ集(1660年、インスブルック)はシュメルツァーのソナタ集よりも4年早く出版されています。詳しい経歴が判明したのは2005年のことで、インスブルック宮廷に仕えた後、シチリアに移り、あるカストラート歌手と口論になって刺殺し、船でフランス経由スペインに逃亡し、マドリード宮廷に仕え…といった波乱万丈の人生だったらしい。こんなことを調べ上げる研究者って、すごい。
 
このソナタの中間部(旧録音では1分47秒~)に現れるのが、なんとシュメルツァーの第4ソナタと同じテトラコルドの固執低音をもつシャコンヌ!
 
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アンドルー・マンゼ(ヴァイオリン)リチャード・エガー(チェンバロ)
【1992年録音、Channel Classics】
 
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アンドルー・マンゼ(ヴァイオリン)、リチャード・エガー(チェンバロ)
【1998年録音、harmonia mundi】
古楽の演奏で大切なこと(アンドルー・マンゼ)
1)歴史的な知識に基づいて作られた道具を手に入れること(重要度5%)
2)正しい演奏スタイルとそのための技術を身につけること(重要度10%)
3)歴史的背景についての知識を持つこと(重要度5%)
4)埃だらけの古文書の資料庫に入り原作曲者の自筆稿を探し出し、後世の校訂者のくっつけた異物を取り除くために、オリジナルの譜面に当たること(重要度10%)
5)あとはきみの頭(イマジネーション)を使うこと(重要度70%)
この曲のスコアがどんなにシンプルに書かれているか、旧録音の動画の冒頭にほんの一瞬映る通りです。上声部1パートと通奏低音1パートのたった2段、マンゼはそれをいったいどこまで豊潤あるいは饒舌あるいは扇情的に肉付けしていくのか。マンゼ以前(1990年)に「ラ・カステッラ」を録音したエンリコ・ガッティの祈りのような慎ましい演奏と同じ曲とは思えない。録音当時はまだ謎だったパンドルフィ・メアッリの尋常でない生涯をまるで見抜いたかのようなケバケバしさに感心しつつ、「イマジネーションと創作は紙一重」なんて、思ってみたりする。
 
全12曲の中から7曲の選集を録音した後、わずか数年後にあらためて全曲録音したことは、マンゼのこの作曲家に対する並々ならぬ関心の証ではないでしょうか。解説書に何か書いてあるのかもしれませんが、外国語なので分かりません(←英検4級)。演奏のコンセプトは基本的に同じですが、新録音のほうがよりブリリアントです。ぼくは、どちらか一つを選ぶなら旧録音のほうです。(なお、旧録音のアルバムにはテオルボ奏者も参加していますが、「ラ・カステッラ」ではテオルボの音は聴こえません)
 
さて、同じ固執低音をもつシュメルツァーとパンドルフイ・メアッリのシャコンヌ、後者は自由奔放で落ち着きのないところに抗いがたい魅力があり、前者はより器が大きく、しかも躍動感があって、最後の最後で急にラストスパートをかけてあっけなく果てるところがユニークです。シュメルツァーを聴いていて感じるのは、パッヘルベル(1653~1706)のカノンはきっとこの延長線上にあるということ。イマジネーションと妄想は紙一重。

人生最期の瞬間に聴きたい音楽

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ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
 
<曲名>
シャコンヌ イ長調(シュメルツァー)
 
ヨハン・ハインリヒ・シュメルツァー(1620頃~1680)は、ちょうど2年前に同じアルバムからイ短調ソナタを取り上げました。それほどこのアルバムが気に入っていて、「わが人生の10枚」に挙げたいくらいです。また、以前、n先生から「死ぬ間際に一曲だけ聴けるとしたら、何を聴きますか?」というお題をいただいたとき、この「シャコンヌ」を選びました。
 
「シャコンヌ」と言うと、バッハの無伴奏(ニ短調)とかヴィターリ(ト短調)が有名なので、なんとなく短調のイメージがありますが、決して短調専売ではありません。ぼくは「シャコンヌ」の形式自体(固執低音をもつ3拍子の変奏曲)が好きで、何度も繰り返される低音は悠久の時の流れのようであり、昨日と何も変わらない今日があるように見えても河のほとりの風景は刻々と変わり、人もまた然り。「シャコンヌ」の裏テーマは「人生」ではないか。そんなことさえ感じます。
 
<演奏>
エレーヌ・シュミット(ヴァイオリン)
ヤン・クリゴフスキー(ヴィオローネ)
ステファン・ラート(キタローネ)
イェルク=アンドレアス・ベッティヒャー(クラヴィオルガヌム)
【2005年録音、Alpha】
http://ml.naxos.jp/album/alpha109
http://www.youtube.com/watch?v=GGAEpnUSUEg (9分02秒)
シュメルツァーの音楽をつぶさに学び、この芸術家の楽想を自分のヴァイオリンのうえに“翻訳”していこうとするとき、わたしはその香気にむせび、そのめくるめく展開にうっとりと幸せな気分を味わう。(中略)あるいは、イ長調のチャコーナ(シャコンヌ)-それぞれの変奏ごと親密に寄り添いあいながら、ゆっくり微妙にうつろい変化していく音色は、さながら万華鏡のようだ。(エレーヌ・シュミット)
エレーヌ・シュミットはフランスのバロック・ヴァイオリン奏者。彼女のことをネット検索すると、必ずしも好意的な評価ばかりではないのですが、これほど作品への共感、愛情が音からにじみ出る人はそんなにいません。万感の思いが伝わってくるヴァイオリン。人生最期の瞬間には、このシャコンヌに包まれて「いい人生だった」と穏やかに振り返りたい。ゆうちゃん、よろしく

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