鳥の歌(カタルーニャ民謡/カザルス編曲)

彼女がつくってくれる手料理は男にとって最高の美味だが、彼女の手料理をそうとは知らせずに彼に食べさせても、たぶん彼は感動しない。往々にして、人の心を動かすのは特別なプロセスである。
 
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<曲名>
鳥の歌(カタルーニャ民謡/カザルス編曲)

<演奏>
パブロ・カザルス(チェロ&指揮)、プラド音楽祭管弦楽団【1950年録音、SONY】
http://www.amazon.com/dp/B000002AUI/ref=cm_sw_su_dp
http://www.youtube.com/watch?v=mAq50UR5PpA (3分11秒)
 
スペインのカタルーニャ地方を故郷とするカザルス(1876~1973)は、スペイン内戦のあと、フランコ政権が誕生したとき、「自由な政府ができるまで祖国には帰らない」と宣言し、1939年に南フランスのプラドに移り、結局、生涯帰国することはなかったそうです。フランコ政権やそれを容認する国に対する抗議のために公開演奏をやめていたカザルスを心ある音楽家たちが説得し、バッハ没後200年に当たる1950年に開催したのがプラド音楽祭。このとき、カザルスはすでに70歳代半ば。
 
それから20年以上も過ぎた1971年10月24日、「国連デー」のコンサートにおけるカザルスのスピーチと演奏は世界中に放送されたたいへん有名なものです。このとき、94歳。
 
カザルスのスピーチと演奏
http://www.youtube.com/watch?v=frizJZee0dE (5分47秒)
I am a Catalan. (私はカタルーニャ人です)
Today, a province of Spain. (今日、スペインの州の一つとなっているカタルーニャです)
But what has been Catalonia?Catalonia has been the greatest nation in the world.
(カタルーニャはどうなったでしょう?カタルーニャは世界で最も偉大な国となりました)
And I will play a short piece of the Catalonian folklore. (カタルーニャの短い民謡を演奏します)
This piece is called “The Song of the Birds”. (「鳥の歌」という曲です)
The birds in the sky, in the space, sing, (空高く舞い上がる鳥たちはこのように歌います…)
“peace!peace!peace!”. (平和!平和!平和!)
And the music is a music that Bach and Beethoven
and all the greats would have loved and admired.
(それはバッハやベートーヴェン、ほかのあらゆる偉大な音楽家も愛し、讃えたであろう音楽です)
It is so beautiful, and it is also the soul of my country, Catalonia.
(美しく、私の祖国カタルーニャの魂とも言うべき音楽です)
この動画ではスピーチの一部がカットされています。上の対訳は動画に含まれる部分のみ。
 
スピーチにつづくカザルスの独奏(3分09秒~)は、もはやかなり怪しく、何も知らない人が聴いたら素人の発表会と思うかもしれない。ぼくがこのチェロに単なる音楽を超えて心に迫る何かを感じるのは、たぶんカザルスという人物の存在感と無縁でなく、音楽から受ける感銘に音楽以外の要素が入ることを否定しない。もしこの老人がカザルスのソックリさんだったら?なんて、あり得ない想像をしてみる、疑心暗鬼な今日この頃
 
【参考】朝日新聞 be on Saturday「ことばの旅人」(2004年10月2日付)
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贋作と疑作

もし、フェルメールの真作と信じられてきた絵画が贋作と判明したら、その作品の市場価格は大暴落するでしょう。一方、クラシック音楽にも昔から贋作や疑作は山ほどありますが、こういった問題にはわりと寛容な世界だと思っていました。ひとくちに贋作とか疑作と言っても、様々なケースがあるので、ここに整理してみます。
 
(1)確信犯的な贋作
名ヴァイオリニストのフリッツ・クライスラー(1875~1962)は自作のヴァイオリン曲を「プニャーニ、ボッケリーニ、ポルポラなど17~18世紀の作曲家の作品の編曲」と偽って発表しましたが、オリン・ダウンズの追及を受けてついに真実を告白し、1935年2月8日付(79年前の今日!)の『ニューヨーク・タイムズ』の第一面に「クライスラー『古典名曲』を自作と暴露、30年にわたり批評家を欺く」という見出しの記事が載ることになる。クライスラーの所業に対し、アーネスト・ニューマンは「良心的に編曲された古い音楽の信用を傷つけかねない倫理にもとる行為」として非難しましたが、今となっては笑い話です。(参考文献:ハリー・ハスケル『古楽の復活-音楽の「真実の姿」を求めて』東京書籍、1992年)
 
しかし、笑い話は現在もつづいています。例えばクライスラーが「プニャーニ作曲」と発表した「前奏曲とアレグロ」は「クライスラー作曲、プニャーニの様式による前奏曲とアレグロ」という曲名に改め、音楽評論家は「クライスラーがプニャーニの作風を巧妙に模倣して作曲した」と解説しますが、クライスラー自身は「詐称した作曲年代の様式に沿って作曲する努力は全くしなかった」と告白したとか。「~の様式による(In the style of ~)」と書くなら、この曲のどの辺がプニャーニ風なのか、具体的に説明しなければならない。
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Renaissance Lute Music
「カッチーニのアヴェ・マリア」自作自演!
ウラディーミル・ヴァヴィロフ(リュート)ほか
http://www.amazon.co.jp/dp/B0035L72SY
http://www.youtube.com/watch?v=8TJOzKniBdg
【1970年録音、MELODIYA(MEL CD 10 01638)】
 
近年有名になった贋作の類例には「カッチーニのアヴェ・マリア」があります。ここ20年くらいで急速にメジャーになって、今やシューベルト、グノーと並んで「世界三大アヴェ・マリア」とも称されるこの曲の真の作曲者は、カッチーニ(1545頃~1618)ではなく、20世紀ソ連のリュート奏者ウラディーミル・ヴァヴィロフ(1925~1973)らしい。
 
ヴァヴィロフ自身が参加しているメロディア盤(つまり自作自演!)には“Anonymous, XVI cent”(作曲者不詳、16世紀)とクレジットされていますが、まったく16世紀っぽくないのは一興。注目すべきは、そこにカッチーニの名前はないこと。いつ誰がカッチーニの名前を付けたのでしょうか。分かりません
 
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ヴァイオリン・ソナタ第3番ヘ長調(ヘンデル)
ヨハンナ・マルツィ(ヴァイオリン)、ジャン・アントニエッティ(ピアノ)
http://www.youtube.com/watch?v=twiZDpN15gg
【1955年録音、Coup d' archet(COUP CD-006)】
 
(2)第三者による詐称
ヘンデル(1685~1759)のヴァイオリン・ソナタは、一般的に6曲知られていて、全国のヴァイオリン少年少女たちにおなじみです。スズキメソードの教本には第1番イ長調、第3番ヘ長調、第4番ニ長調の3曲、「新しいバイオリン教本」(某ブロ友さん略していわく「あたばよ」)にも第3番ヘ長調の第2楽章と第6番ホ長調が含まれています。今、これを書きながら第3番を聴いていたら、ゆうちゃんが「あっ、この曲知ってる。私、弾いたことある!ヴィヴァルディ!」。面倒だからスルーした。
 
しかし、定説によると、6つのソナタのうち、ヘンデルの真作は2曲のみ(第1番、第4番)、その他の4曲(第2番、第3番、第5番、第6番)は疑作らしい。詳細な経緯は省略して端的にまとめると、1720~30年代に某出版社がヘンデルの人気に乗じて勝手にヘンデルの名前を付けて刊行したという!ヘンデル自身が監修すれば疑作は排除されたでしょう。しかし、疑作とは信じられない、いかにもヘンデルっぽい4つのソナタは永遠に失われたでしょう、間違いない。
 
(3)現存する資料では真の作曲者の特定が困難
例えば、作曲家X氏の筆跡で書かれた楽譜が無記名のまま残された場合、その筆跡だけでは作曲者を断定することはできません。なぜなら、X氏は他人の作品を書き写しただけかもしれない。では、バッハの筆跡で書かれた楽譜にバッハの筆跡で「バッハ」と署名されていたら、どうでしょうか。そこまで物的証拠が揃っているなら、確かにバッハが作曲したと信じますが、もし、その署名が別人の筆跡だったらどうでしょうか。バッハ一族はみな音楽家だから、「バッハ」という姓だけではどのバッハか特定できません。
 
「鼻から牛乳」であまりにも有名なオルガン曲「トッカータとフーガ」は、現存する最古の楽譜がバッハの死後に(つまり第三者によって)書かれたものであるという事実に加えて、「作風がバッハっぽくない」という様式的見地からの違和感ゆえ、「疑作」と主張する人がいます。しかし、「偽作」と「確定」したわけではなく、公平に言えば、現在も未解決。
 
しかし、こういった事情による「疑作」は、「贋作」とは根本的に異なります。
 
(4)作品成立または普及の経緯が複雑
「ヴィターリのシャコンヌ」の場合はちょっと事情が違います。この曲には大別して3つのまったく異なる版があります。ヴィターリの自筆譜は現存せず、同時代(18世紀前半)の別人が書き留めた手稿譜が最も古い版。その手稿譜をもとに、19世紀の名ヴァイオリニストでメンコンの初演者としても歴史に名を残すダーヴィトが編曲したのが第2の版(ダーヴィト版)。それをシャルリエがさらに大胆華麗に編曲したのが第3の版(シャルリエ版)。この3つ以外にも様々な版がありますが、3つのうちいずれかをもとに編曲した、言わば「派生版」がほとんどです。現在、世界中のヴァイオリニストによって広く演奏されているのはシャルリエ版です。
 
「ヴィターリのシャコンヌ」について、「あまりにもドラマチックで、バロックとは信じられない。19世紀の贋作ではないか」と言っている人は、ひょっとしたらシャルリエ版を聴いた(弾いた)のではないかしらん。最も古い手稿譜もヴィターリの自筆譜ではないのだから、真の作曲者を断定できる物的証拠はなく、その意味では「疑作」と言うべきですが、19世紀贋作説の人が言う「疑作」とは意味が違うので、両者がこの曲の真贋問題について語り合っても、たぶん噛み合わない。
 
(5)代作
ワーグナーの「パルジファル」を、フンパーディンク(彼自身も歌劇「ヘンゼルとグレーテル」の作曲者として有名)が上演を補佐しただけでなく、作曲の一部を手伝ったという噂は本当でしょうか。しかし、音楽の世界に限らず、名義人の監修のもとで弟子などが代作するケースはけっこうあると聞いてもぼくは驚かない。
 
手伝いとは次元が異なる事例としては、モーツァルトの遺作「レクイエム」を巡るエピソードが有名です。モーツァルトに作曲を依頼した謎の使者の主人である某伯爵はアマチュアの音楽家で、「当時の有名作曲家に匿名で作品を作らせ、それを自分で写譜した上で自らの名義で発表するという行為を行っていた。彼が1791年2月に若くして亡くなった妻の追悼のために、モーツァルトにレクイエムを作曲させた」(by Wiki)。
 
余談ですが、ぼくが高校生になったある日、中学時代にやっていた某通信添削教材の新規会員獲得のダイレクトメールに、ぼくの顔写真付きの合格体験記が載っているのを、高校の同級生が見せてくれましたが、まったく身に覚えがない。ゴーストライターは母だったらしい。

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