2014/07/06
<曲名>
無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番ホ長調BWV1006~前奏曲(バッハ)
前回につづいてバッハ・トランスクリプション。これは有名な曲なので、いろんな編曲があります。せっかくバッハがヴァイオリンという楽器の可能性を最大限に追及するためにあえて無伴奏で書いた曲にわざわざピアノ伴奏を追加したシューマンやメンデルスゾーン、ピアノ独奏に編曲したサン=サーンスやラフマニノフなど。
そして管弦楽版。バッハの「無伴奏ヴァイオリン」原曲は4本の弦を駆使してシャコンヌやフーガのような多声音楽に果敢にチャレンジする一方、このホ長調の前奏曲は最後のほうのごく一部に重音がある以外はほとんど単旋律で、でも背後には確かにハーモニーを感じさせるという神業的な作曲技術。その隠れたハーモニーを顕在化させ、しかも大管弦楽で強調するという暴挙!これを余計なお世話と言わずして何と言おうか。
<演奏>
(1)レオポルド・ストコフスキー指揮彼の交響楽団【1958~59年録音、EMI】
シンフォニック・バッハの代名詞、ストコフスキー(1882~1977)の編曲による弦楽合奏版。原曲の冒頭は短い休符ですが、ストコフスキーは強烈な押し出しでいきなり聴き手をのけぞらせる。その後もヴァイオリンの無伴奏と弦楽合奏を対比させたり、単旋律を複数パートで分け合ったりして工夫を凝らしているが、ハーモニーの補強はわりとシンプルで、輪郭を強調する程度。意外性はあまりない。
(2)アンドリュー・リットン指揮ロイヤル・フィル【2010年8月14日収録(Live)】
プロムスの創始者ヘンリー・ウッド(1869~1944)の編曲による管弦楽版のプロムスにおけるライヴ。この動画の前半は「平均律クラヴィア曲集第1巻第3番」で、それにつづくのが無伴奏の管弦楽版です。ヴァイオリンはほぼ原曲通りに弾き通し、そこに木管が絡んできたり、金管がオルガンのように肉厚のハーモニーを付けたりして、アイディアの豊かさと音響的な美しさを両立させた見事なオーケストレーション!冒頭の一撃のほか、原曲には存在しない音をたくさん加えているのに、わざとらしくない。エンディングはまるでオリンピックかW杯の開会式かと錯覚するほど豪華絢爛な壮麗さで、非常に感動的。間違いない!
(3)セルゲイ・クーセヴィッキー指揮ボストン交響楽団【1945年録音、VICTOR原盤/Biddulph復刻】
リッカルド・ピック=マンジャガッリ(1882~1949)の編曲による弦楽合奏版。このストコフスキーと同年生まれの長い名前の人は「オラフの踊り」というバックハウスやチッコリーニも弾いたピアノ曲で知られる作曲家(←今、調べた)。この編曲でもヴァイオリンが主導しますが、他のパートの絡み方はヘンリー・ウッドの編曲よりもはるかに複雑で、ほとんど対旋律を形成しているほど。せっかく知的なアプローチでバッハ好きを唸らせるのにエンディングはストコフスキーのような仰々しさ。これは指揮者の責任か。
(4)鈴木雅明指揮バッハ・コレギウム・ジャパン【2011年放送(Live)】
譜例の前奏曲(Loree註:BWV1006の自筆譜、1720年)は1729年のカンタータBWV120aの第二部を開始するためのシンフォニアとして一種のオルガン協奏曲に編曲された。このオルガン協奏曲はその2年後の1731年には伴奏部を拡大した形でカンタータBWV29の冒頭楽章としても使われている。さらに1736、37年頃には当該のパルティータ全体がリュート(?)用に編曲された(自筆譜は武蔵野音楽大学所蔵)。以上のような度重なる編曲からバッハがこの曲をいかに好んでいたかが窺われる。(小林義武「バッハとの対話-バッハ研究の最前線」小学館、2002年)
原曲の単旋律をオルガンが嬉々として弾き通し、それを弦楽合奏と2本のオーボエ、3本のトランペット、ティンパニで彩る祝祭的な気分に満ちた管弦楽版。ちなみに、この編曲でも冒頭の一撃を加えている。トランペットは現代と異なるナチュラル・トランペットで、駅のキオスクか銭湯の脱衣場で腰に手を当ててもう片方の手に牛乳ビンを持ってイッキ飲みするおじさんのような姿勢で吹いている。なんか凄い。エンディングで豪快に連打するティンパニも、もはや無伴奏の世界とはかけ離れているけど気分爽快!これはカンタータ第29番のシンフォニアに転用された、バッハ自身の編曲です。もしかしてだけど~、バッハは自作の管弦楽化をメチャ楽しんでるんじゃないの~♪