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記事一覧(第201回~第250回)

【第201回】記事一覧(第151回~第200回)
【第202回】ラプソディ・イン・ブルー(ガーシュウィン)
【第203回】映画「ベニー・グッドマン物語」
【第204回】「ヴィターリのシャコンヌ」の正体
【第205回】シャコンヌ(ヴィターリ)/リチャード・ヨンジェ・オニール
【第206回】かえるの合唱(ドイツ民謡/福永陽一郎編曲)
【第207回】オランダ人の謎
【第208回】蜘蛛の糸(芥川也寸志)
【第209回】ヴァイオリン協奏曲第1番(パガニーニ/クライスラー編曲)
【第210回】ヴァイオリン協奏曲第1番(パガニーニ)
【第211回】パガニーニの主題によるロマンス(映画「魔法の楽弓」より)
【第212回】夜の間奏曲
【第213回】ガイーヌ(ハチャトゥリヤン)
【第214回】ディスコフィル・フランセのオリジナル盤を聴く。
【第215回】ハープ協奏曲(ヘンデル)
【第216回】わらしべ長者 秋編
【第217回】4周年
【第218回】魔王(シューベルト)
【第219回】誤表示・偽装問題
【第220回】わが国における最近の覆面事情
【第221回】シャコンヌ(パーセル)
【第222回】純印度式カリーと水出し珈琲と大量のCDと私
【第223回】映画「レベッカ」(フランツ・ワックスマン)
【第224回】交響曲第1番(ベートーヴェン)
【第225回】無窮動(ヨハン・シュトラウス2世)
【第226回】ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番の短縮版
【第227回】ピーターと狼(プロコフィエフ)/池田秀一、中野慶子、楠トシエ、友竹正則、熊倉一雄、小池朝雄、トニー谷
【第228回】ピーターと狼(プロコフィエフ)/芥川比呂志
【第229回】越天楽
【第230回】シャコンヌ(ヴィターリ)/ゆうちゃん
【第231回】贋作と疑作
【第232回】鳥の歌(カタルーニャ民謡/カザルス編曲)
【第233回】モーツァルトのホルン協奏曲をチェロで弾く。
【第234回】ヴァイオリン協奏曲(カバレフスキー)
【第235回】シャコンヌ(ヴィターリ)/オイストラフ親子3代
【第236回】小フーガBWV578(バッハ)
【第237回】無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番BWV1006(バッハ)の管弦楽版
【第238回】無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番BWV1001(バッハ)の二重奏版
【第239回】愛の喜び(マルティーニ)
【第240回】金婚式(マリー)
【第241回】ドナウ河のさざなみ(イヴァノヴィッチ/ワルトトイフェル編曲)
【第242回】日本人有名歌手によるクラシックのカバー曲
【第243回】クラシックメドレー特集
【第244回】ベーレンライター原典版編集者による特別講座<楽譜の発掘 大作曲家たちの直筆譜と闘う>
【第245回】シャコンヌ(ヴィターリ)/ヘンリク・シェリング
【第246回】シャコンヌ(ヴィターリ)/アルトゥール・グリュミオー
【第247回】シャコンヌ(ヴィターリ)/ガブリエッラ・アルムッツィ=ロメイ
【第248回】シャコンヌ(ヴィターリ)/エドゥアルト・メルクス
【第249回】リコーダーの妖精
【第250回】5周年
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5周年

本日(11月8日)、このブログは5周年。また、計ったようにちょうど250回記念となりました。日頃よりお付き合いいただいている皆さんに感謝の意を表します。

<姉妹ブログ>
(1)日本イヴォンヌ・キュルティ協会
(2)日本人有名歌手によるクラシックのカバー曲
(3)ブルワリー写真集
 
(1)は謎多き往年の美人ヴァイオリニスト、イヴォンヌ・キュルティに関する世界最大(←自称)のデータベース。が、中身はほとんどib○tar○w先生から教えていただいたことばかりです(汗)この場を借りまして、あらためて御礼申し上げます。
 
(2)は今夏このブログで連載していたシリーズですが、当初想定以上に該当曲が増えすぎたので、別ブログに分離してデータベース化しました。
 
(3)は隠しブログ(Loree名義ではない)。ビールのことを書いているブロガーはたくさんいますが、ブルワリー(ビール醸造所)に特化している人は稀有と思われます。
 
3つの姉妹ブログはいずれもコメント欄を設けず、自分にとっての位置付けは「資料集」です。本拠地はもちろんここです。1つのことを5年も続けているなんて、自分でも意外すぎます。開設以来、音楽専科であることは変わりませんが、コンセプトには変遷があったことを昨年の4周年記事で書きました。「珍曲珍盤」「聴き比べ」は厳に慎むことを自分に課していたのは今は昔。娘から「私、お父さんのCDいらないよ。」と言われたのを機に40年計画の「遺産目録作成プロジェクト」への熱意も冷め、自分が好きな曲のことを好きなときに好きなように書くという、悟りの境地に達しました。
 
しかし今回は「酒・女・歌」の中でこれまで唯一取り上げてこなかった「酒」の話にします。このブログは今後も音楽専科ですが、これは周年記事ですからね
 
ぼくにとって、酒と言えばビールです。ひとくちにビールと言っても世界には様々なスタイルがありますが、ここ数年、世界的に人気が高まっているのがIPA(India Pale Ale)というスタイルです。ここではめったに出会う機会がないレアものではなく、入手容易な逸品を堂々紹介
 
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ハードコア・インペリアルIPA(ブリュードッグ社)【写真左】
色は琥珀がかったオレンジ。ルビーグレープフルーツやビターオレンジのピールのようなアロマホップが鼻腔を突き抜けます。ホップはかなり効いておりIBU値は150ありますが、嫌味なほど圧倒的ではなく、至ってフルーティーで紳士的。パインやバナナ、そして最初の印象のグレープフルーツ系のホップ香が軸として全てに働きかけます。モルティでキャラメルの甘さが9.2%のアルコール感を包み込み、上品な飲み応えとなって広がります。フィニッシュはたっぷりとしたビター感が心地良く、絶妙なカーボネーションにより、きれいなノド越しを作り出し、素晴らしいシトラスピールを連想させるホップの香りを運んでくれます。(輸入代理店、株式会社ウィスク・イーのコメント)
スコットランドのブリュードッグ社は常識外れなくらいホップがガツンと効いたビールをつくります。看板銘柄の「パンクIPA」は一般的なビールの40倍以上のホップを投入しているそうですが、「ハードコア」はそれをさらに極め、快感の域に達しています。近所の酒屋さんでは600円前後(330mlびん)。
 
今どきビール類は1缶100円で買えるから、その6倍の値段を安いとは言わないけど、居酒屋に飲みに行ったらふつうの生ビールでも1杯400~500円ですよね。それを思えば許容できる。ワインだったら、ハーフボトルサイズで600円なんて、ほんの安酒じゃん。そう自分に言い聞かせる。
 
インドの青鬼(ヤッホーブルーイング社)【写真右】
アルコール度が高く、ホップをふんだんに使ったインディア・ペールエールは、18世紀の英国で、長く過酷なインドへの航海のために、劣化しにくいビールとして造られました。そんなルーツを持つ「インドの青鬼」は、驚愕の苦味と深いコクで飲む者を虜にします。“魔の味”を知ってしまった熱狂的ビールファンの為のビールです。(醸造元、株式会社ヤッホーブルーイングのコメント)
長野県のヤッホーブルーイング社の看板銘柄「よなよなエール」は、コンビニでもたまに見かけるくらい、クラフトビールではメジャーな存在です。同社の「インドの青鬼」はうちの近所のスーパーで290円前後(350ml缶)。この価格でこのIPAを手軽に味わえるのが素晴らしい。皮肉でも何でもなくコストパフォーマンスの高さは感動的。アルコール7%。「ハードコア」の半額以下で、休日の昼酒の罪悪感も半分以下。間違いない
 
そんなわけで、まとまりのない5周年となりましたが、これからもどうぞよろしくお願いします♪

リコーダーの妖精

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Michala Petri
 
「リコーダーの妖精」ことミカラ・ペトリ。
 
リコーダーと言うと、日本人の99%は小中学生の縦笛を思い浮かべますが(当社調べ)、元来は西洋の古楽器であり、バッハやヘンデルをはじめとして17~18世紀の多くの作曲家がこの木管楽器のために協奏曲やソナタを書きました。そんなわけで、バロック少年であり、リコーダー少年でもあったぼくがそのジャンルに惹かれるのは必然でした。
 
特に好きだったのがミカラ。決して、年上の綺麗なお姉さまに惹かれたのではなく、バロックのリコーダー曲に惹かれたら、それを吹いているのがそういう人だったのです。ミカラの音はストレートで歪みも淀みもなく、呼吸が安定していて実に爽快。実にピュア。生まれてから一瞬も邪悪な心に汚されたことがない、心の美しい女性にしか出せない音である(男の妄想)。
 
<曲名>
ヴァリエーション・ブリランテ(クレーマー)
Variations Brillantes, Op.18(Ernst Krähmer/arr.by Alexander Zapolski)
 
<演奏>
ミカラ・ペトリ(ソプラノ・リコーダー)&Zapolski Quartet
https://www.youtube.com/watch?v=PM9_IOBurdk (7分04秒)
 
クレーマーと言うと、拙ブログを長年愛読してくださっている方は過去記事「超有名主題による変奏曲」シリーズで紹介したヨハン・バプティスト・クラーマー(1771~1858)を即座に思い出されることでしょう、間違いない。
 
このときのクラーマーは某美人ブロ友さんも愛奏しているピアノの練習曲≪クラーマー=ビューロー≫の原作者ですが、今回の作曲者はエルンスト・クレーマー(1795~1837)。ぼくは今日まで同一人物だと思っていましたが、調べてみたら別人でした

 
この曲はバロックじゃないけど、ミカラが来日公演で吹いているのをFMで聴いて、エアチェックしたカセットテープをもとに採譜するほど聴き込みました。そのテープはすでに手元になく、正確なデータも不明ですが、おそらく1988年の来日公演、伴奏はミカラのお母さんのチェンバロだったと思います。ツッコミどころ満載の手書きの楽譜は今も手元にあります(そもそも2拍子でいいのか?)。
 
なお、ぼくの楽譜に「クラマールシュ作曲」と書かれているのは、たぶんFMでそのようにアナウンスされたのだと思います。調べてみると、Kramářという綴りだとチェコ語で「クラマールシュ」と発音するらしい。チェコ人なんでしょうか。分かりません

 
上のYouTubeの演奏は弦楽四重奏の伴奏で、第1ヴァイオリン奏者Alexander Zapolskiの編曲(ちなみにこのYouTubeは彼のチャンネル)。伴奏は違いますが、ぼくはこの曲を20数年ぶりに聴いた。なんという感激
 
もしかしてだけど~♪この曲の楽譜、IMSLP(International Music Score Library Project)にあるかな?と思って検索したけど、なかった。(→ http://imslp.org/wiki/Category:Kr%C3%A4hmer,_Ernst
 
なぜかちょっと、ホっとした。
 
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シャコンヌ(ヴィターリ)/エドゥアルト・メルクス

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<曲名>
シャコンヌ(ヴィターリ)
 
<演奏>
エドゥアルト・メルクス(Vn)
ライオネル・サルター(Org)、カール・シャイト(Lute)、アルフレート・プラニヤフスキー(Cb)
【1971年1月26~29日録音、ARCHIV】
https://www.youtube.com/watch?v=qC8hdDsIOCE (11分32秒)
http://www.amazon.co.jp/dp/B00005FDAZ (試聴できます)
http://tower.jp/article/feature_item/2013/08/05/1101 (メルクスBOX)
ヴィターリのこの曲は、よくよく考えてみると、ふしぎな位置にある。荘厳な感じではあるが宗教色は希薄であり、詩的でも散文的でもない。響きの交差をヴァイオリンは縫ってゆき、ときにはなまなましく、ときには装飾的になる。音の織物と呼ぶには、実体がありすぎる。なにか別な空間を想ったほうがよさそうなのだが、私には適切なことばが見つからない。もしかしたら天上の風景かもしれない。[推薦盤:エドゥアルト・メルクス](宮城谷昌光「クラシック 私だけの名曲1001曲」新潮社、2003年)
オーストリアのヴァイオリニストとして、今日特に知られているのは、ウィリー・ボスコフスキー、ヴォルフガング・シュナイダーハン、及び早くから演奏の名手、及び教育家として、両面の活動をしているエドゥアルト・メルクスである。(マルク・パンシェルル/大久保和郎訳「ヴァイオリン」、白水社、1967年)
この曲にはいくつかの版があるが、ここではメルクス自身がドレスデンの手稿譜をもとに自作した通奏低音の具現や装飾音によって演奏されている。(戸口幸策・黒川孝文、CD解説書より)
ぼくが初めて聴いたヴィターリはヘンリク・シェリングでした。そして何を隠そう、初めて自分で買ったのはメルクス。中学3年のとき(1989年)に買ったこのCDはヴィターリのほか、皆川達夫先生が推薦しているタルティーニの「悪魔のトリル」とコレッリの「ラ・フォリア」も入っていて、お買い得だったのです
 
しかし、メルクスのヴィターリには驚きました。それまで聴いていたピアノ伴奏のシェリングとは違って、メルクスは復古的なスタイルで演奏する人だということは知っていましたが、芸風だけじゃなくて弾いている音符もかなり違う。それで解説書を読んで、ぼくは初めてこの曲に様々な「版」があることを知った。
 
メルクスについては、ボスコフスキーやシュナイダーハンと並べたパンシェルル評よりも「品のいい落ち着いた古雅という言葉がぴったりなヴァイオリン」というパス●エさん評に共感します。ぼくはアルムッツィ(前回紹介)を素朴だと書きましたが、メルクスに比べたらアルムッツィもずいぶん訴えかける力が強いヴァイオリンということになる。絶対評価は難しい。
 
メルクスのヴァイオリンは、楽器の特性もあるのでしょうけど、音色自体は正真正銘のすっぴん素肌、無味無臭。好みが分かれるかもしれませんが、ぼくにとってはヴィターリよりも前にヘンデルのソナタに魅了されて以来、メルクスはオンリーワンなのです。昨年発売された20枚組BOXをパ●ピエさんから教えていただいて即買いしたことは言うまでもない。

シャコンヌ(ヴィターリ)/ガブリエッラ・アルムッツィ=ロメイ

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<曲名>
シャコンヌ(ヴィターリ)
 
<演奏>
ガブリエッラ・アルムッツィ=ロメイ(Vn)、ルイジ=フェルディナント・タリアヴィーニ(Cem)【1960年代後半録音、ERATO】
http://www.amazon.co.jp/dp/B0000ARKDX (試聴できます)
私が高校生だった頃(※)、ちょうど日本コロムビアが1000円盤を発売しはじめ、本格的な国内廉価盤ブームが到来しつつあった。そうした中で、エラートの1000円盤シリーズは統一ジャケットで簡素なものだったけれども、内容的にはとても充実していた。(中略)ガブリエレ・アルムッツィ=ロメイによる「イタリア古典ヴァイオリン名曲集」などを買って、繰り返し何度も聴いた。(谷戸基岩「クラシック“ローカル線”の旅~私をレコード蒐集の底なし沼へ導いたLPとの出会い」:音楽之友社「別冊レコード芸術」SUMMER 1999より)Loree註:国内盤LP(RE-1042)は1972年発売
この曲は、まれにみる表現力と、おどろくべき和声の大胆さを示しているが、オリジナル版によって録音されたのはこのレコードが初めてである。(Claude Mercier-Ythier、安藤元雄訳)
チェンバロ奏者タリアヴィーニは世界的に知られている人ですが、このヴァイオリニストのことは3年前にみず●師匠から教えていただくまで名前も知りませんでした。経歴不明。ネットで検索しても手掛かりはほとんどなく、Alina Companyという美人ヴァイオリニストの経歴(イタリア語)にGabriella Armuzziに師事したと書かれている(と思われる)のが唯一の情報です。
 
演奏はきわめて真摯かつ質素。「オリジナル版」とは、この曲の最も古い手稿譜に基づく演奏と思われます。グリュミオーも、シャルリエ版のオイストラフやシェリングに比べたら地味だと感じましたが、アルムッツィに比べたらグリュミオーはずいぶん鮮やかで艶っぽい。アルムッツィを地方の県立高校に通う黒髪の女子生徒に喩えるならば、グリュミオーは都会のイケてるOLと言えよう。シャルリエ版は藤原紀香。
 
モダン楽器とはいえ、さすがエラート、19世紀の垢を洗い流したバロックふうのスタイルで作品本来の姿を明らかにするコンセプトですが、今となっては、アルムッツィの念押しするようなヴィブラートとタリアヴィーニの折り目正しく拍節感の強いサポートには録音された時代の刻印を感じます。同じオリジナル版の桐山建志さんの流線形のヴィターリとの聴き比べは一興。
 
なお、この演奏は、ワーナー社から最近発売された「ニュー・ベスト・ヴァイオリン100」という6枚組の華やかなオムニバス盤にも収録されています。
http://www.amazon.co.jp/dp/B00LFVN6M2 (試聴できます)

プロフィール

violin20090809

Author:violin20090809
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