完全なるディスコグラフィへの道 その6

今回のテーマは「編曲版」です。
オーケストラによる演奏は勿論のこと、ピアノや弦楽合奏のための編曲による演奏も含む。(吉井新太郎氏、ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」ディスコグラフィ)
特別な場合を除き、一部楽章(特に第4楽章)のみの演奏およびピアノなどへの編曲版も除外しました。(高橋敏郎氏、ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱」ディスコグラフィ)
編曲版の取り扱いはディスコグラフィの編者によって判断が分かれます。ひとくちに「編曲」と言っても、編曲者の「知名度」や編曲作品としての「クオリティ」によって人々に寛容に受け入れられたり、あるいは拒絶されたりします。しかし、ディスコグラフィとはディスクの形で残された録音を悉く調べ上げることが本分であり、例えばラヴェル編曲のムソルグスキーの「展覧会の絵」はよいが、何処の馬の骨か知れぬ者の編曲は対象外と線引きするならば「主観」「恣意的」の謗りを免れない。
 
そもそも「編曲版を対象とするかどうか」という問題提起自体、編曲に対する微妙な感情が滲んでいるうえ、実は「編曲とは何か」という定義も人によって様々で、金子建志氏がベートーヴェンの交響曲第7番の第4楽章でスラーを取って演奏する解釈を「編曲」と評していたことには驚きましたが、対極には自由すぎて原形を留めない「作曲」のような「編曲」もあったりして、何処まで対象で何処から対象外なのか、自分の立場を明らかにする必要があります。取捨選択とは自分の価値観と対峙することに他ならないのです。
 
<曲名>
交響曲第5番(ベートーヴェン)
 
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【ケーススタディ】オーケストレーション改変版
♪近衛秀麿指揮読売日本交響楽団(1968年録音)
http://tower.jp/item/3951825 (試聴できます)
ベートーヴェンのオーケストレーションをよりはっきりと響かせるための改訂は随所に行われている。いわゆる「近衛版」による演奏なのである。たとえば第1楽章では228小節の頭のティンパニ追加がそうだし、478小節ではなんと主題を強調するために、全パート、頭の8分音符をすっぽりカットしてしまっている。(宇野功芳)
ベートーヴェンの5番には「近衛版」のほか「マーラー版」もありますが、あえて「版」とか「編曲」と銘打っていなくてもホルンなどでオーケストレーションを補強する指揮者は(特に昔は)枚挙にいとまがありません。このような演奏をディスコグラフィの対象とすることには多くの方の同意を得られるのではないでしょうか。
 
実際、もっと大胆にオーケストレーションを改変したモーツァルト編曲やグーセンス編曲のヘンデルの「メサイア」だって、同曲のディスコグラフィから除外されないでしょう。そうならば、河邉一彦編曲のマーラーの「巨人」吹奏楽版(川瀬賢太郎指揮東京佼成ウインドオーケストラ)もすぐ目前です。
 
【ケーススタディ】室内楽版
♪Van Swieten Society(2014年録音)
https://www.youtube.com/watch?v=fsjcAVA10V0 (冒頭のみ:1分30秒)
 
ベートーヴェンの友人だったフンメル編曲による四重奏版(ピアノ、フルート、ヴァイオリン、チェロ)はいかがでしょう。このようなサロン編曲は当時の「あるある」で、ベートーヴェン自身の編曲による交響曲第2番のピアノ三重奏版、交響曲第7番の木管アンサンブル版もあります。バッハやヘンデルも自作の使い回しに伴う編曲は日常茶飯事でした。作曲者自身の編曲だったら文句ないですか?
 
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【ケーススタディ】ピアノ独奏版
♪グレン・グールド(ピアノ)
 
交響曲に限らず、オーケストラ譜のピアノ編曲は特に協奏曲では日常茶飯事です。子どもの発表会からプロオケのオーディションまで、弦楽器にせよ、管楽器にせよ、世界中で演奏される協奏曲の大半は実はピアノ伴奏ではないでしょうか。オイストラフやミルシテインをはじめ、往年の巨匠もピアノ伴奏でヴァイオリン協奏曲のライヴ録音を残しています。
 
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【ケーススタディ】非クラシック系
♪ポール・モーリア楽団 https://www.youtube.com/watch?v=47o5cFX-7f0 (2分52秒)
♪上海太郎舞踏公司B https://www.youtube.com/watch?v=85tsnqc3jHM (4分13秒)
 
ひとくちに「編曲」と言っても様々ですが、原形を留めないようなものは取り上げません。ここに挙げた2つの編曲はどちらも第1楽章のみで、しかも途中カットがありますが、特に後者はスコアの再現性とバカバカしさを高度に融合させた絶品で、これを対象外にする理由が見つかりません。日本人(日本語が分かる人)にしか通用しないけど。
 
(次回につづく)
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完全なるディスコグラフィへの道 その5

今回のテーマは「部分録音」と「短縮版」です。
 
<曲名>
交響曲第5番(ベートーヴェン)
 
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【ケーススタディ】部分録音(想定内)
♪アンドレ・クリュイタンス指揮ウィーン・フィル(1958年12月13日録音)[第1楽章のみ]
 
複数の楽章で構成される作品の一部の楽章しか存在しない録音はディスコグラフィの対象とするべきでしょうか。様々な交響曲の一部を選んで集めたクリュイタンス&ウィーン・フィルの「交響曲へのお誘い」というアルバムは、旧録音の再利用ではなく、すべてオリジナルの録音です。クリュイタンスはちょうどベルリン・フィルとベートーヴェンの交響曲全曲録音に取り組んでいる時期で、同年3月録音のベルリンと同じ指揮者でオケ違いの同曲異演を比較する楽しみもあるウィーン盤は部分録音でも紹介に値するのではないでしょうか。
 
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【ケーススタディ】部分録音(想定外)
♪グイド・カンテッリ指揮フィルハーモニア管弦楽団(1956年5月31日、6月1、4、5日録音)[第2~4楽章のみ]
 
前述のクリュイタンスとは逆に、この録音は第1楽章が欠落しています。もともと全楽章を録音する計画でしたが、ホール近隣の工事の騒音のため、残りの録音を延期したところ、その時期が来る前にカンテッリは飛行機の墜落事故で急逝。このような曰く付きの録音は未完でも記憶されるべきではないでしょうか。
 
また、ラロの「スペイン交響曲」(実質的にはヴァイオリン協奏曲)の場合、5楽章構成ですが、初演者サラサーテが第3楽章をカットして演奏したとかいう曰くで、ハイフェッツをはじめ、往年のヴァイオリニストの多くがこのカットを踏襲して4楽章の作品として録音しています。ディスコグラフィでは、ターゲットによってこのような歴史的経緯を考慮する必要があります。
 
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【ケーススタディ】短縮版
♪秋山和慶指揮NHK交響楽団[第1楽章のみ]
http://www.amazon.co.jp/dp/B00005FHRL (試聴できます)
 
どんな大曲でも必ず5分間の枠に収める職人芸的な番組、NHK「名曲アルバム」。複数の楽章で構成される作品はいずれか1つの楽章のみ、しかもその楽章が長ければ断腸の思い(たぶん)でカットして時間を合わせます。これも部分録音の一種です。時間の制約による短縮版は「名曲アルバム」に限らず、昔(おおむね1940年代以前)のレコードは片面最大5分間という収録時間に合わせるため、それ以上の長さの曲は中断して裏面で再開するか、あるいはカットして片面に収めていました。変奏曲はともかく、ソナタ形式のカットはなかなか高度な知的作業ではないでしょうか。いったいどこをカットするのか、予想してから聴いてみるのも一興。
 
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【ケーススタディ】リハーサル
♪ヘルマン・シェルヘン指揮ルガノ放送管弦楽団(1965年2月24~26日録音)[全4楽章]
 
リハーサルにはシェフの厨房を覗き見るような楽しさがあります。指揮者にも様々なタイプの人がいて、演奏を頻繁に止めて指示を与える人、ほとんど止めずに通しながら指示を与える人など、進め方にも個性が表れます。シェルヘンは後者です。その他の様々なリハーサル録音も含めて、詳細はいずれあらためて別記事で紹介します。そもそもディスコグラフィにアクセスする人はそのターゲットに並々ならぬ関心をもつ同好の士のはずで、指揮者の解釈が手に取るように分かるリハーサル録音を本番以上に熱心に聴く人がいてもぼくは驚かない。
 
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【ケーススタディ】作品解説
♪レナード・バーンスタイン(ナレーター&ピアノ&指揮)ニューヨーク・フィル[第1楽章のみ]
♪尾高忠明指揮NHK交響楽団、武田至弘(ナレーター)[全4楽章]
 
バーンスタインの録音は米CBSのTV番組をCD化したもので、ベートーヴェンの作曲過程を不採用スケッチの演奏も交えながら彼自身が解説しています(日本語対訳付き、約12分)。つまり、スケッチの演奏は既出録音の流用ではなく、明らかにこの企画のためにおこなわれた録音です。なお、バーンスタインは1954年のTV番組でも同曲を解説していますが(→ https://www.awesomestories.com/asset/view/Bernstein-Explains-Beethoven-s-Fifth-Part-1)、内容が異なる別企画と思われます。
 
N響の録音はオーケストラの演奏に合わせて作品の構造をナレーターが分析的に解説しています(約37分)。通し演奏ではなく、解説もポケットスコアに書かれているような内容ですが、スコアのあるパートを抜き出して演奏するなど、当盤も既出録音の流用ではなく、明らかにこの企画のためにおこなわれた録音です。このような解説レコードは、通常の全曲演奏と同列に取り扱うには躊躇しますが、同曲のレコード史上で無視するには惜しいユニークな存在ではないでしょうか。
 
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【ケーススタディ】レッスン
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィル(1966年録画)[第2楽章のみ]
 
この映像は「リハーサル」と紹介されることもありますが、実際はベルリン・フィルの低弦セクションを練習台にした、若い指揮者の卵へのレッスンです(約21分)。マイケル・グレイ氏が2000年頃に作成したベルリン・フィルのディスコグラフィには掲載されていませんが、これは2005年に世界初商品化されたためと思われます。
 
(次回につづく)

完全なるディスコグラフィへの道 その4

今回のテーマは「別テイク」です。
 
映画やドラマの撮影で良い演技ができるまで同じ場面を何度も撮り直すのと同じように、レコードやCDも何度も録音して良い部分をつなぎ合わせて製作されます。一発勝負のはずのライヴ録音も例外ではなく、同じプログラムで複数日にわたってコンサートがおこなわれる場合は全部録音し、さらに必要あらばリハーサルの録音もミックスして完成度の高い演奏に仕上げます。その是非はこの際どうでもいいのです。問題はディスコグラフィにおける取り扱いです。
 
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【ケーススタディ】3日間のコンサートを3つの別演奏として録音する場合
交響曲第1番(ベートーヴェン)
朝比奈隆指揮大阪フィルハーモニー交響楽団
2000年7月8日録音
2000年7月21日録音
2000年7月23日録音
 
朝比奈(当時91~92歳)の最晩年のベートーヴェンの交響曲全曲録音は複数回にわたるコンサートを無編集のままCD化しています。特に第1番はなんと!2枚組に3つの演奏が収録されています。この場合、演奏日が近接しているとはいえ、本人及び発売元の意図は明らかなので、ディスコグラフィでも3つの「別演奏」として取り扱うべきでしょう。
 
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【ケーススタディ】3日間のコンサートを編集して1つの演奏をつくり上げる場合
交響曲第8番「未完成」(シューベルト)、交響曲第9番(ブルックナー)
ギュンター・ヴァント指揮北ドイツ放送交響楽団
2000年11月12日録音
2000年11月13日録音(DVD化)
2000年11月14日録音(NHK放映)
DVDは、オーケストラ楽員の入場から始まり、演奏終了後の熱狂的なスタンディング・オヴェイションに至るまで、11月13日(公演2日目)当夜の熱気に満ちた模様をカットなしに完全収録(CDとは別編集。また、NHKで放映された映像は公演3日目、11月14日のものであり、当作品の収録日とは別)。(HMVの商品説明より)
というわけで、このライヴはCDとDVDで発売されましたが、CDは3日間の演奏をつなぎ合わせて1つの演奏にまとめたのに対し、DVDはその中の1日の演奏をそのまま収めています。さて、両盤は「別演奏」と取り扱うべきでしょうか。また、いずれNHKの映像がDVD化された場合は?
 
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【ケーススタディ】同じ曲を同じ日に複数回録音する場合
タイスの瞑想曲(マスネ)
フリッツ・クライスラー(Vn)
1928年2月2日録音
 
レコードの製作事情は時代によって違います。昔(おおむね1940年代以前)は複数の録音を「つなぎ合わせる」という編集技術がなかったので、何度も録音して、その中から「選ぶ」という方法で原盤が用意されました。しかし、本命が1つのみとは限らず、売れそうなレコードは度重なるプレスで原盤が物理的に磨耗する事態に備えて複数用意しなければなりません。そうなると、同じレコードに見えても中身は微妙に(?)違う演奏ということがあり得ます。
 
例えば、クライスラーのある復刻CDには同じ日(1928年2月2日)に録音された「タイスの瞑想曲」が2種類、「テイク8」と「テイク10」が収録されています。クライスラーは少なくとも10回、「タイスの瞑想曲」を録音したということです。ディスコグラフィではこれらの「別テイク」をどのように取り扱うべきでしょうか。余談ですが、同じ日に録音されたドルドラは「テイク4」、ドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」は「テイク25」。3曲合計(少なくとも)39テイクとなります
 
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【ケーススタディ】同じ曲を別の日に録音する場合
マドリガル(シモネッティ)
イヴォンヌ・キュルティ(Vn)
 
前述のクライスラーのように、昔は同じカタログ番号のレコードに複数のテイクが使われることがありましたが、そのすべてのテイクが同じ日に録音されるとは限らず、時期を置いて(おそらく何らかの事情で必要が生じた場合に)あらためて録音されることもありました。そのような場合はレコード会社もマトリクス番号(原盤管理番号)をあらためて付与し、「別テイク」ではなく明らかに「新録音」と取り扱っていることが判ります。
 
例えば、わが愛しのキュルティの「マドリガル」には同じカタログ番号(Columbia D19041)で違うマトリクス番号(L870とL2549)のレコードが存在し、実際、この2つは録音時期に数年の隔たりがあると思われ、まったく違う演奏なのです。
 
しかし、マトリクス番号がアテにならない場合もあります。パブロ・カザルスの1920年代のレコードでは2ヶ月後、あるいは2年後の録音にも同じマトリクス番号が付与されています。ちょうどこの時期に録音技術の革新があり、新旧テイクは別技術で録音されているにも関わらず、レコード会社はこれらを「新録音」ではなく、カタログ番号は違いますが、あくまで「別テイク」とみなしているのです。また、アルフレッド・コルトーの1920年代のレコードにも3年の隔たりがある録音が「別テイク」扱いで同じマトリクス番号が付与されています。このような「別テイク」はディスコグラフィではどのように取り扱うべきでしょうか。
 
【参考記事】
「パブロ・カザルスのDB851とDB1067の怪」(ib○tar○w先生) http://ibotarow.exblog.jp/22774755/
 
(次回につづく)

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