音楽感想文マニュアル

ブロ友yositakaさんの記事「読書感想文マニュアル論争」が興味深い。某公立小学校が読書感想文の書き方マニュアルを配布したそうで、その是非を巡ってSNS上で賛否両論が飛び交っているという朝日新聞の記事(9月2日付、9月23日付)の紹介とご自身の所感を書かれています。

「読書感想文マニュアル論争」
https://nekopapaan.fc2.net/blog-entry-1178.html

「読書感想文マニュアル、あり?なし? 配布する小学校も」
朝日新聞デジタル 2016年9月2日11時33分
http://digital.asahi.com/articles/ASJ8W4RCMJ8WUTIL00M.html?rm=1002
 
子どもたちに読書感想文を課す側(?)のyositakaさんと、課されてきた側(間違いない)のぼくは正反対の立場ですが、yositakaさんもぼくもこのマニュアルには肯定的です。マニュアルと言っても「中身」を提供するものではなく、文章の組み立て方を指南する内容ですし、ひと握りの上位層は別として、原稿用紙を前にして途方に暮れる子どもたちにとっては、とりあえず書いてみるための手引きになると思うからです。
 
それで当然の流れで音楽感想文についていろいろ検索していたら、これまた興味深い論文がヒットしました。ある大学院の学生さんの修士論文ですが、現在、学校教育の音楽鑑賞がどのような観点でおこなわれているか、これがまさに「音楽感想文マニュアル」と言うべき内容を含んでいます。
 
「音楽について語る」とは:中学校音楽科における「感想文」の功罪
(弘前大学大学院教育学研究科/勘林稚菜、2015年3月)
 
はじめにお断りしますが、この論文は先行研究の調査が中心で、この「音楽感想文マニュアル」的な部分はこの論文の筆者が提唱しているわけでも肯定しているわけでもなく、近年の指導者側の研究成果の一つとして紹介されているものです。そこからマニュアル的な要素を抜き出して実用にすることは筆者の本意ではないと思いますし、ご不快に思われる方がいるなら、それはぼくが責められるべきです。矛先を間違えないようにお願いします。
 
先ずは、中学校学習指導要領(2008年)から抜粋。
【第2学年及び第3学年】
鑑賞の活動を通して、次の事項を指導する。
ア 音楽を形づくっている要素や構造と曲想とのかかわりを理解して聴き、根拠をもって批評するなどして、音楽のよさや美しさを味わうこと。
イ 音楽の特徴をその背景となる文化・歴史や他の芸術と関連付けて理解して、鑑賞すること。
ウ 我が国の郷土の伝統音楽及び諸外国の様々な音楽の特徴から音楽の多様性を理解して、鑑賞すること。
西園芳信氏はこんな指導方法を提案しています。
「批評的聴取」の手順
(1)批評文に「悲しさや激しさを表している」といった音楽の雰囲気・イメージ・曲想を感受(感じ取る)したことを記述する。
(2)批評文に「音のこまかい弦楽器と低音を使って」といった音楽の諸要素の知覚内容によって音楽の雰囲気・イメージ・曲想の感受内容の根拠を記述する。
(3)これら(1)と(2)を関連させ、それを低音・リズム・クレッシェンド等の音楽用語を用い人に伝わる文章にする。
(4)上記(1)~(3)のことを踏まえ自分の経験を交えながら、例えば「反対の2つの主題が人の感情の変化を表しているのだと思った」というように音楽を評価する。
また、西園氏は次の9つの観点で批評文(感想文)を評価することが可能であり、このような方法が感性を育成することにつながると述べています。
「美的質」の分類(1~5:G・ヘルメレン、6・7:佐々木健一、8・9:西園芳信)
(1)情緒的な質:「陰気な」「厳粛な」「晴れやかな」「センチメンタルな」「喜ばしい」「悲しい」「メランコリックな」「陽気な」「熱狂的な」
(2)行動の質:「大胆な」「神経質な」「力強い」「激しい」「熱烈な」「いらいらした」「控えめな」「優美な」「優しい」「仰々しい」「堅苦しい」
(3)形態の質:「統一感のある」「ばらばらの」「首尾一貫した」「厳密な」「単純な」「均衡のとれた」「調和的な」「混沌とした」
(4)趣味の質:「エレガントな」「愉快な」「どぎつい」「けばけばしい」「崇高な」「美しい」「キッシュ(まがい物、俗悪なもの)」「不細工な」「卑俗な」「醜い」
(5)情動的な質/反応の質:「可笑しい」「滑稽な」「驚くべき」「可愛い」「衝動的な」「挑発的な」「神秘的な」「印象的な」
(6)ジャンルの特徴に由来する質:「悲劇的な」「叙情的な」
(7)時代様式に基づく質:「バロック的」「ロマン的」
(8)音色の質:「なめらかな音」「透明感のある音」
(9)イメージ的・想像的な質:「森の中の小鳥の鳴き声と小川のせせらぎのイメージ」「人生のなかで平穏なときの情景」
別の研究者、鏡千佳子氏はシューベルト作曲の「魔王」とライヒャルト作曲の「魔王」を比較した感想文の評価例を提示しています。
○十分満足できる例(音楽の要素を根拠にしている)
私はシューベルトの魔王の方が好きです。理由は、ライヒャルトの魔王は、登場人物に関係なく、声が同じ調子ですが、シューベルトの魔王は、登場人物ごとに、声の調子が変わったり、気持ち(感情)がこもった歌い方なので、背景がわかりやすくおもしろいです。また、シューベルトの魔王は、馬の足音をピアノで表現するなど、ライヒャルトとちがい表現の仕方もおもしろいです。それから、ライヒャルトは、ピアノも歌も音やリズムが同じところが多いけれど、シューベルトはピアノと歌両方で背景や登場人物の心情が表され、両方で魔王をイメージできるので、シューベルトの方が好きです。
○支援の必要な例(主観的なイメージは述べられているが、音楽の要素と結びついていない)
僕はシューベルトのほうが気に入っています。理由は、シューベルトは気持ちが込もっているので、場面を想像しやすくきいていておもしろいからです。
○評価に困る例(注:この論文の筆者は「インパクトがあり、説得力さえ感じる」と評価している)
あまりにできすぎた劇(ミュージカル)よりもおもしろい絵本を読み聞かされている方が楽しいから。
これらの先行研究から、音楽感想文は「主観的内容」(雰囲気・イメージ・曲想)と「客観的内容」(音楽的要素・音楽の特徴・構造)を分けて、前者を後者に基づいて説明することが求められ、さらにどれだけ幅広い観点を示しているかが評価の決め手となります。教師があらかじめ想定している感想文のモデルから逸脱すると評価が難しくなる場合があります。
 
しかし、書くべき内容を分類・整理していくことは、指導者・生徒の双方にとってポイントが明確になる一方、「感想文のテンプレート化」につながり、音楽を聴かなくても評価の観点を満たした感想文を書けるようになってしまいます。そもそも、多くの人を納得させる批評文を書くのはプロでさえ難しいのに、専門家を育てるわけではない学校教育で批評文を目指すような感想文を書かせる必要はないと考えます。
 
例えば、愛知教育大学付属岡崎中学校では「アメージンググレイス」のアカペラに挑戦し、自分たちの声を録音して聴いて演奏に生かしたり、また、様々なアレンジの「アメージンググレイス」を聴いて生徒が和音構成音を組み替えてアレンジする授業をおこなっています。ここでは「聴く」ことへの必然性が生まれています。このような「鑑賞」と「表現」の一体化が感想文の問題を解決する糸口になると考えます。(以上、Loree要約)

ぼくもまあ、一応、これまで音楽についていろいろ書いてきたつもりですが、学校で感想文がこんなふうに評価されるとはまったく知りませんでした。さて、ゆうちゃんの感想文はいかに
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絵文字で語るオペラ

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(解答)
【第1問】「蝶々夫人」(プッチーニ)
【第2問】?(ヒントは22時を指す時計?)
【第3問】?(ヒントは舟と三日月?)
【第4問】?
【第5問】?
【第6問】?
【第7問】「カルメン」(ビゼー)
【第8問】?(ヒントは荒れ狂った海?)
【第9問】?(ヒントはやけに多い登場人物の間の木?)
【第10問】?(ヒントは蛇と鍵?)
【第11問】「道化師」(レオンカヴァッロ)
【第12問】「椿姫」(ヴェルディ)

難しい

世の中ね、顔かお金かなのよ

バッハ好きの方にはおなじみの話題ですが、それほどでもない方は相当に年季の入ったクラシック通でも存在すら知らないことが大いにあり得るこの作品、これまでクラシック専門ではない一般メディアに何度も取り上げられ、今日もニッポン放送系のネットサイト「grape(グレイプ)」が記事化しています。
 
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<曲名>
「音楽のささげもの」BWV1079(バッハ)
~2声の逆行カノン(通称:蟹のカノン)
 
バッハ晩年(1747年)、息子が仕えるフリードリヒ大王に謁見し、大王から与えられた一つの主題をもとに様々な対位法パターンで作曲してみせた「技のデパート」のような作品集が「音楽のささげもの」です。この作品集には10曲のカノンが含まれ、カノンとは「カエルの歌が♪」のような輪唱の形式だから少なくとも2つ以上のパートがなければ成立しませんが、ご覧の通り、単旋律で書かれているので、この楽譜を見ただけではどんなカノンなのか判りません
 
つまり、後続のパートをどうやって始めるべきか、演奏者に謎解きの試練を課しています。このカノンの正解は、最初のパートは楽譜の最初からそのまま演奏し、2番目のパートは楽譜の末尾から音符をさかのぼって読んで重ね合わせると、ちゃんと調和した音楽になるという仕掛けです
 
一般サイトではそんな謎解きは吹っかけず、2番目のパートをあらかじめ示して視覚的に判りやすいように解説されています。記事によっては「回文音楽」と紹介されることもありますが、回文とは「最初から読んでも最後から読んでも同じ」という技法なので、「最初から読む人と最後から読む人が同時に読むと調和する」というこのカノンは回文とは違うタイプという気がします。なお、この記事のタイトルは回文です
 
【解説】「天才バッハ一世一代の大仕掛け!この曲に隠された秘密に驚く」(grape)

金と銀(レハール)

ゆうちゃんは2つのオーケストラを掛け持ちしていて、今回は高校オケ部の話です。3年生はすでに引退し、現役部員は1年生(ゆうちゃん含む)と2年生を合わせて35名。この人数だけ見るとちょっとした室内管弦楽団ですが、実状としてはパート間の偏りがあって編成がいびつです。
 
フルート 3
オーボエ 3
クラリネット 5
ファゴット 1
ホルン 2
トランペット 2
トロンボーン 1
チューバ 0
打楽器 2
ヴァイオリン 11
ヴィオラ 3
チェロ 2
コントラバス 0
 
このようなオケの選曲はどうあるべきか。このオケでは、候補曲をみんなでLINEで挙げて、ある程度絞り込んで投票で決めています。たいてい、「やりたい曲をやる」という感じで、自分たちの編成はあまり考慮していない模様。
 
また、管楽器は曲によって繁閑の差が激しいので、練習を始めてから自分のパートがヒマすぎることに気づいて不満が出たり、編成もピッタリ合わないので、人数が多い楽器は同じパートを複数名で一緒に(または交代で)演奏し、足りない楽器はエキストラで補充するか、足りないまま演奏するそうです。
 
すべての楽器が揃っているのは当たり前ではなく、さすがに現代のプロオケではそんなことはないでしょうけど、かの帝王カラヤンも20代のときに監督を務めていたドイツのウルム市立歌劇場では苦労したらしい。
~カラヤンの若い指揮者へのアドバイス~
「できるだけ下手なオーケストラに行きなさい。そうすれば得るものは大きい。私だって、若い時にはウルムという田舎町で、たった33人のオーケストラで何でも演奏したもんだよ。「ばらの騎士」だって上演した。もっとも、消防署のブラスバンドに応援を頼んでね。それでも足りないパートは自分で編曲した。手元に楽器がないパートは、出番のない他の楽器にメロディを書き込んで演奏してもらったり…。それでも足りないパートはピアノで代用する。だから、私は「ばらの騎士」なら眠っていたって全部のパートを歌えるんだよ。そうして覚えたものは一生忘れない。だからできるだけ田舎のオーケストラに行くべきなんだ。」(大町陽一郎「思い出の名指揮者 カラヤンとチェリビダーケ」/音楽之友社「別冊レコード芸術」SUMMER 1998より)
恵まれた環境も結構だけど、こうしたハングリーな経験も悪くない。しかし各パートが過不足なく揃っているに越したことはないので、9月から練習する10分程度の曲を新たに選ぶことになって、ゆうちゃんを通じて「管弦楽編成表」(→ http://horn.philharmonic.jp/henseihyo/)を勧めてみたけど、このオケの編成ではあっちを立てるとこっちが立たずという感じで、なかなか難しい
 
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<曲名>
ワルツ「金と銀」(レハール)
 
<演奏>
ルドルフ・ケンペ指揮ドレスデン・シュターツカペレ【1972~73年録音、DENON】
 
結局、「金と銀」(木管各2・ホルン4・トランペット2・トロンボーン3・打楽器いろいろ)に決定。すでに練習を開始している他の曲は打楽器がヒマらしいので、「今ヒマなパートがちゃんと活躍できる曲」という他パートへの配慮の意識が育ったことは前進でしょう。さて、各パートの過不足をどう解消するのか。
 
と思ったら、唯一のトロンボーンが本番に出演できなくなったらしい

プロフィール

violin20090809

Author:violin20090809
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